TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 6月東京・文楽若手会(文楽既成者研修発表会)『寿柱立万歳』『菅原伝授手習鑑』国立劇場小劇場

今年の東京若手会は平日開催で難儀したが、なんとか行ってきた。

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『寿柱立万歳』。太夫・三味線は本公演より良かった。本公演では全員の調子が合っておらずハチャメチャになっていたが、若手会は皆でひとつの曲をつくりあげる印象でとても良かったと思う。

しかし人形、紋臣さんはなぜまたここに出ているのか……、本公演でも太夫やっていたのに……。いや、紋臣さんの才三は正味なところ若手会でもっとも良いと言っていいほど良かったのだが、本編の千代、戸浪とかやって欲しかったので……。でも本当に良かった。ゆったりした動きがユーモラスで、あたたかい気持ちになる才三だった。

 

 

 

『菅原伝授手習鑑』車曳の段。白太夫の息子たち三人、菅丞相派の梅王丸・桜丸と時平の家来・松王丸が左大臣藤原時平吉田神社参詣のその道すがらに偶然再会するという話。直近の本公演では上演のなかった段。

浅葱幕が降りている冒頭部、深編笠を被った梅王丸(吉田簑太郎)と桜丸(吉田玉誉)が幕の前で今後を相談していると車の先を払う雑色(杉王丸=吉田簑之)が現れて浅葱幕が落とされ、梅が美しく咲き乱れる吉田神社の鳥居前を背に時平(吉田文哉)の牛車が姿を見せる。

なんか名前がきのこたけのこすぎのこ状態になっていて混乱を呼んでいるのが若干気になるがそれはともかく、梅王丸と桜丸の人形は配役が比較的お兄さんだからか、落ち着いて演じておられて安心して見られた。そして途中から「待てらふ、待てらふ、待てらふやい」と大声を張り上げて登場する松王丸(太夫=竹本小住太夫、人形=吉田玉翔)。太夫も松王丸役は初めは床に座っておらず、人形の背景後部鳥居からの入りと同時に舞台袖から声を張り上げて入場し床へ上がるのだが、小住さん、ほかの太夫さんからぶち抜きのバカでかい声で驚いた。めっちゃ威勢のいい人来たなって感じ。舞台袖の時点で一番声がでかい……。かなり貫禄ある松王丸だった。人形は玉翔さん。一生懸命やっておられたのがよくわかった。本当、精一杯やっておられて、わしゃ、心を打たれましたわいの〜おおおおお(泣き崩れる)。ここの部分、人形は松王丸をはじめ、兄弟がたて続けに型を決めていく演技になるということで、みなさん本当大変だったろうなと想像する。松王は鋤のようなものを振り回す派手な手振り身振り以外にも編み込みで作ったような華麗な髪型にも注目(チラシ写真参照)、油付五本三つ組鬢割り櫛入り振分け前髪切藁という髪型だそうです。名前難しすぎ。

牛車がパカーンと割れて登場する時平役の文哉さん、超!がんばって!おら!れ!た。月光のように淡く輝く象牙色の衣をまとい金巾子の冠*1をかぶった悪の化身として堂々と振舞っておられたと思う。大変立派だった。そして“人を人とも思わぬ大嗤い”の靖さんも立派だった。

 

寺入りの段。ここからは本公演でも上演があったので、自分も落ち着いて観られる。

この段の冒頭部は悲劇の予兆として少し笑いのある微笑ましい展開だが、客席の雰囲気がよく、お客さんも乗っていて笑いが起こり、お人形のみなさん楽しげに演技をされていてとてもよかった。こういうやわらかい雰囲気は、お客さんがみな暖かい気持ちで舞台を見守っている若手会ならではだと思う。普段の東京公演だとこうもいかないので……(ギャグに誰も笑わないという哀しい事故がしばしば起こる)。その微笑ましい展開のひとつ、今回の戸浪(桐竹紋吉)による子供達からの千代(吉田簑紫郎)の手土産の取り上げ方は、千代の話を横耳で聴きながら手土産を物色する子供達にすかさず近づき、さっと取り上げて蓋を閉めて仕舞っちゃうというものだった。なおよだれくりは玉路さんでした。本公演の菅秀才より役の格が微妙に上がっているのか……。小太郎(吉田玉延)は品があってまじかわで良かった。玉延さん、いままで大丈夫かいなと思うこともあったが、子供ながらけなげにきりっとした小太郎を演じておられ、がんばったんだねと親戚のおばちゃん気分で涙々。

 

寺子屋の段。

お人形みなさん熱演で、良いもん見せてもろたと思った。源蔵(桐竹紋秀)からは邪魔するヤツ全員即始末するという気迫を感じた。帰ってくるところからして若干思いつめたような苛立ったような様子で、気むずかしげというか、気がメチャ強そうだった。さすが夫婦共謀してどこの子かもわからん初対面の子供をいきなり殺すだけのことはある。首実検のところでも、戸浪とともに松王を圧倒する気迫。役に対する強い思い入れを感じた。籠に乗って現れる松王丸(吉田玉勢)は、堂々とした立派な演技。冒頭、刀を杖につきながら寺子屋の前に佇むすっとした立ち姿が美しかった。玉勢さん、いつも人形の位置が高いね。千代役の簑紫郎さんもいつもよりよく考えられたしなやかな動きで良い。ふだんは一瞬しか出演がなくてそこでいっぱいいっぱいでも、みなさんストーリーの流れをつくるような大きな役をもらうと、演技プランをよく考えて遣われるんだなと感じる。最後のいろは送りの部分では松王丸と千代の身振りも息が合っていて、とても良かった。

前半の芳穂さんのみならず、後半を語られた希さん、頑張っておられたと思う。希さんは元々の声質が功を奏している部分もあるのだろうが、いろは送りの高音部がかすれずちゃんと出ていたのは本当頑張っておられると感じた。

 

 

 

若手会、人形はみなさんよく考えて遣っておられて、そのせいか演技が前のめり、情熱的だった。迷いの中で、こういうふうにやりたい!こういうふうに見せたい!という強い意志を感じた。太夫さんは若い方ばかりで、こちらもみなさん本当頑張っておられた。太夫さんもお人形と同じく全員前のめり、こういう語りがしたいという積極性をおびていた。そして掛け合いでみんなでひとつの舞台を作り上げようという気持ちは、本公演以上だったと思う。前述の通り、『寿柱立万歳』は本公演以上によかった。

当然、私のような素人にもわかる範囲で至らないところはある。無理もないけど、太夫さんなら声量が不安定だったり、人形遣いさんは目が泳いでいたり人形のかしらをチラチラ見ちゃってたり、三味線さんで太夫さんの語りと合ってない人がいたり。その点においては、本公演に出演されるお師匠様格の方々がなにげなくこなしている演技の完成度に驚かされた。やはりあのミニマムですべてを表現する洗練度、そして自然に見える・聴こえること自体がすごいのだなと実感。人形なら体格の見せ方など身振りそのもの以外で表現する部分、三味線なら太夫さんの語りに合わせてサポートするように弾いたりという面は、やはり経験やそれによる余裕がものを言うのだなと思う。

しかしそれとはまた別に、若手会には本公演を上回るまっすぐな情熱と熱気を感じる。昨年若手会に行ったときはそもそも文楽を見始めたばかりで出演者の方々のことがよくわからなかったが、今年は「この方は普段こういうことをやっている方」とある程度わかってきているので、感慨深く拝見することができた。また、当然ながら本公演より良い役で出演されるので、おひとりおひとりの個性をよく観察することができる機会でもあったと思う。そもそも一般社会では40代くらいの方があそこまで純粋に頑張っている姿ってそうそう見られないので、心を打たれるものがある。みなさん本当頑張っておられて、私も頑張ろうという気持ちにさせてもらった(仕事さぼって観に行っているヤツがえらそうに言ってみました)。

 

 

 

 

*1:金巾子(きんこじ)の冠って何?って感じだと思いますが、冠の纓(えい)を抑える部分が金巾子でできた冠のことで、もとは天皇が日常で被っていたものだそうです。だから時平はワシってば天子も同然!ふふん!とか言ってるんですね。纓というのは冠のさきっちょにくっついてる長いやつのことで、金巾子というのは纓を抑える紙に金箔を押したもののことだそうです。だがここまで細かい装飾の冠を被っているのを確認するにはオペラグラスがいる。私の席はけっこう前列でしたが、そこまでは見えなかったです。

文楽 6月大阪・文楽鑑賞教室/外国人向け公演 Discover BUNRAKU『二人禿』『仮名手本忠臣蔵』国立文楽劇場

観劇からだいぶ時間があいてしまったが、大阪の鑑賞教室に行ってきた。

文楽鑑賞教室は配役が4種ありどれを観に行くのか悩ましかったのだが、後半日程の午前の部・午後の部を観に行くことにした。このうち午後の部は「Discover BUNRAKU」と銘打たれた外国人向け公演で観ることにした。

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┃ Discover BUNRAKU(外国人向け英語解説公演)

外国人向け公演 Discover BUNRAKU。通常の鑑賞教室とは異なり、外部作家の構成による特殊プログラム。それは狂言師・茂山童司さんが太郎冠者となって文楽の世界を探検するというもので、太郎冠者の話す日本語での解説部分は狂言仕立て(狂言の台詞口調で話す)、続けてそれを英語に訳して話すという手順になっていた。通常の鑑賞教室のガイダンスでは太夫さんが司会をされているが、そのかわりに“太郎冠者”がナビゲーターとなって解説技芸員さんに質問を投げかけていく進行。デモンストレーションも通常とは少々異なり、通常通りに行う語り分け・弾き分け解説に加えて、童謡「どんぐりころころ」を義太夫節化することで太夫・三味線の語り分け・弾き分けを知ってもらうというものだった。

一番おもしろかったのは義太夫版「どんぐりころころ」(絵=細川貂々)。童謡の歌詞自体はそのままで節回しを義太夫節にして、三味線は通常のメロディを伴奏するのではなく文楽と同じように情景描写を演奏するというもので、出演は靖太夫さん&龍爾さん。どじょう、めっちゃデカかったですね〜。本公演で人形付けてやるならどじょう役はめっちゃデカい悪役の人形で、配役は文司さんでしょうね〜(顔で選びました、すみません)。そして前奏の不穏な旋律からすると、どじょうは絶っっっっっ対どんぐり坊やを突然刺して殺すと思いますわ〜。若君の身代わりにね〜。という感じで、前々からどじょうは不審者だろうと思っていたが、不審者感が極まって悪役になっていた。どじょうが女性のバージョン(少し年配の女中さん風?)も語り分けの一例として披露されていたが、私、どじょうはオスだと思う。*1

それと、三味線による出の弾き分け解説で龍爾さんがいつもなさっているキムタクと猪木のモノマネが外国人向け上演だからか世界レベルになっており、ジョニーデップとシュワちゃんになっていた。このなんともいえない「これなら文楽に来るようなご年配の方も知っているだろう」絶妙セレクト、さすがって感じで笑った。

 

本編『仮名手本忠臣蔵』は三段目と四段目の抜粋上演。これは字幕が英語というくらいで通常通りの公演。しかし人形の配役が塩谷判官=清十郎さん、由良助=玉也さんという本公演では絶対ありえない配役になっていた。チャレンジ精神に溢れているというか新兵器実験場というかだけど、珍しいものを見たという感じだった。正直、途中までは出演者に不安な面もあり大丈夫かいなという感じだったが、最後に出てくる由良助と顔世御前=紋臣さんで締まっていた。玉也さんの由良助は老練で落ち着いたシッカリ者感があった。仮名手本だと由良助は塩谷判官の切腹にギリ間に合うことになっているけど、実際のところは江戸時代にどうやって赤穂(兵庫県)から江戸へ1日で来られたのか不思議なはずなのだが(映画等だと間に合わない設定のものも多い)、万障繰り合わせてなんとかギリギリ間に合いましたっ!って感じだった。いかにもな国家老感あった。そして紋臣さんの顔世御前、上手のふすまがさっと開いて彼女が泣き崩れながらタタタタタと出てくると掃いたように場の雰囲気が変わったのがとても良かった。そこまでは義理立ての世界だけど、ぱっと情の世界へ切り替わる感じ。

それはともかく冒頭、前座的に上演する『二人禿』はチャレンジ精神ありすぎて正直大変なことになっていた。特にお人形さん。お若い方に頑張らせるのはよくわかるのだけど、お師匠様や兄弟子さん、もう少しなんとかさせてあげないと出ている方が可哀想に思う。頑張っているのはよくわかるのだけれど、鑑賞教室に来てるお客さん全員があの子らがピヨピヨのヒヨコちゃんだと知ってるわけじゃないんで、なかなかね……。

 

そんなこんなで英語を喋る太郎冠者、日本語解説部分は狂言状態、ジョニーデップ&シュワちゃん、何を振られてもびくともしない靖さんのまゆげ、絶対どんぐり坊やを殺すであろうどじょう、混沌とした配役の忠臣蔵と、盛りだくさんすぎて脳が情報を処理しきれなかった。

ただ、気になることもある。解説が狂言仕立てになっているという構成は面白いのだが、観客のうちで狂言を観たことがある人はどれくらいいるのだろうか。狂言というものがあるということをなんとなく知っている程度ではなく、観たことがある(太郎冠者がどういう役回りの人物なのか知っている等)前提の演出ですよね。おもしろいことをやりたいという意気はわかるけど、正直作り手の自己満足に寄っていると感じた。狂言文楽と同じくそこまでメジャーじゃない古典芸能だと思いますんで……(失礼)。語り方・話し方に特徴のある芸能を解説・被解説で並べると、狂言文楽も観たことがない人は、どれが狂言の演出でどれが文楽の演出なのか混乱するのではないかと思う。文楽劇場の外国人向け公演でこれをやるには検証が必要だと思う。

本来なら、英語などの外国語がネイティブ向けレベルで話せる技芸員さんが解説するのが良いのだろう。燕三さんとか本当は英語できるんじゃないんですか? どうなんだろ? お若い人形遣いさんでできる子がおられるとは聞いたが、ヒヨコちゃんなので鑑賞教室の解説に登場されるまではまだ時間がかかるだろうか。

 

↓ 入場者プレゼントのミニトート&クリアファイル。トートは高師直の切り絵、クリアファイルは昨年4月の『妹背山婦女庭訓』山の段。なぜ。でもうれしい。

なお、今年の無料配布パンフのあらすじまんがは細川貂々さんだった。かわいくのんびりした忠臣蔵で、緊迫感のなさがすごかった(褒めてます)。

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文楽鑑賞教室(通常公演)

ここからは通常の鑑賞教室公演。本当は津駒さんが出ている前半日程・午後の部が良かったのだが、その部の人形の配役(塩谷判官=和生さん、高師直=勘十郎さん、由良助=玉男さん)は昨年内子座で観たため、どうせなら観たことがなくてお気に入りの人が一番固まって出ている後半日程午前の部へ行くことにした。この回は塩谷判官=玉男さん、由良助=和生さんという豪華シャッフル配役なのである。

 

塩谷判官役の玉男さんがよかった。線が太い印象で、確かにその場限りの短気でいきなり人に斬りかかりそうな感じがあった。午後の部の清十郎さんはまあ抜いたはいいけど人を殺せはしまいという感じの青びょうたん若大名、忠臣蔵映画で浅野内匠頭を若めの美男俳優がやっていたりする、あの感じ。しかし玉男さんは高師直を一撃で殺しそうだった。なんでその剛毅ぶりで一太刀目で仕留められなかったのかなーというすごい勢いで高師直を追いかけており、そらみんな必死に止めますわなという迫力だった。しかしそこは高師直役の玉輝さんがシャーっと逃げていた。なんとかギリ助かった高師直、て感じ。玉男さんの人形は、重量感を感じて、良い。人形の中は空洞で、木と布でできた簡易なもののはずだが、肉のつまった人間の体重を感じる気迫がある。数百年の風雪に耐えうる白漆喰の壁や松の巨木のような雰囲気。

そしてもうおひとり良かったのは、和生さんの由良助。塩谷判官切腹の段でさっと広間に入ってくるときのあの雰囲気。いかにも切れ者の国家老という感じで、ものすごく品があり、ものすごく頭がよさそうだった(アホな褒め方ですみません)。これからストーリーが大きく動いていくことを感じさせる品格、場の雰囲気を掃き清めるようなうつくしい登場。和生さんが由良助役の全段通しを観てみたいなと思わされた。

同じ段、石堂右馬丞役で玉志さんが出ていたのも良かった。石堂右馬丞はまっとうな立派な心を持った使者という設定だそうで、入場してくるときの三味線の旋律がそれをあらわしているそうだ。それをなるほどねと思わせる品格ある石堂右馬丞であった。

そんな塩谷判官切腹の段の床は千歳さん&富助さんでこちらも大満足。配役が切り替わってすぐの日に行ったからか、千歳さんはがんばりがそのまま素直に声に反映されているような語りだった。

 

 

 

以上の観劇は2日に分けたが、続けて観ると出演者による見え方の違いが面白く感じられた。見え方の違いは配役やその組み合わせによって生まれるものだったりするだろう、回によってちょっとずつ雰囲気が違う。文楽は見せ方がストーリーそのものに即しているし、人形にしてもかしらは同じなので大ブレするわけではないのだが、太夫・三味線がつくる場の雰囲気や人形遣いの所作によってニュアンスが微妙に変わってくるように思う。今回はとくに間隔をおかず観ているので、それがより鮮明に思える。

明らかな違いでいうと、人形は細かい所作がやはり人によって違う。何かを意図してそうされているようだったり、あるいはその方の細かいこだわりでそうされているようだったり。たとえば鷺坂伴内が本蔵から賄賂(というかお小遣い?)を受け取るところの仕草とか。おのおのの方の工夫を感じて、面白かった。ネガティブな面での違いをいうなら、やはり慣れない配役で芝居が浄瑠璃とずれていたり(逆に太夫さんも不慣れでテンポがおかしいのかもしれないが)、芝居がかりすぎの人がいたりで、なかなか混沌としていた。

あと、上記では玉也さんと和生さんの由良助を国家老感ある!と褒めまくっているけど、普段由良助役をなさっている玉男様が国家老感ないわけじゃないですからそこんとこよろしくお願いします。玉男様の由良助は映画でいうと『赤穂城断絶』(東映大石内蔵助=萬屋錦之介)、和生様は『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』(東宝、同=八代目松本幸四郎)、玉也さんは『大忠臣蔵』(松竹、同=二代目市川猿之助)もしくは『忠臣蔵』(大映、同=長谷川一夫)って感じ。ちなみに清十郎さんの塩谷判官は『サラリーマン忠臣蔵』(東宝、浅野卓巳社長=池部良)って感じ*2。由良助ではそこまで大きなブレは感じなかったが、塩谷判官は人形配役によって振れ幅が大きいなと感じた。

 

仮名手本忠臣蔵』の前半は鑑賞教室で小中学生が見るにはなかなか難しい話のように思われるが、ご来場の生徒さんたち一生懸命ご覧になっていたそうで、よかったーと思った。歌舞伎では国立劇場主催の鑑賞教室は夫婦愛等を描くような無難な演目を上演し、殺人・不倫・遊郭描写等のある出し物はしないと聞いたが文楽はやくざ、親殺し、女郎、心中、刃傷、切腹、なんでもありの自由にやっておられるようで、何よりだと思う。

 

 

 

*1:あと、勘十郎さんが何かのインタビューで「孫悟空はオスかメスかわからないが」と発言されていたが、私、孫悟空はオスだと思う。

*2:『サラリーマン忠臣蔵』、映画では珍しく仮名手本準拠のストーリー展開で、パロディものにも関わらず前後編構成でオールスターキャスト、脚本も凝っているので、みなさん是非ご覧になってみてください。

文楽 赤坂文楽 #17『義経千本桜』渡海屋・大物浦の段 赤坂区民センター

今回の赤坂文楽は玉男様メインで幽霊知盛・碇知盛。前回はものすっごい後ろの席しか取れず浄瑠璃聞こえねえ事件が起こったが、今回は頑張って前方席をゲットした。

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上演は『義経千本桜』二段目「渡海屋・大物浦の段」より、幽霊知盛および碇知盛の部分の抜粋。この幽霊知盛と碇知盛の上演のあいだに1時間玉男さんのトークショーを挟むという形式。

開演してから気づいたのだが(遅い)、ものすっごい簡易なセット&人形の数がミニマムで、本当、知盛(吉田玉男)のみの演技を純粋に見てもらうという上演だった。出演者の人数の制約からか、お安(安徳天皇)や内侍局ほかの登場人物の人形がいないのが驚き。これ本公演ならまだ他の登場人物いますよね? 知盛以外素浄瑠璃状態。「と娘の手を取り上座へ移し奉り」って、あれ? 娘、いねえ〜! 「昔の日本映画では天皇の姿は恐れ多いとして基本的に登場させないため、周囲の俳優がエア演技状態」になっていた。前回の赤坂文楽の記事にも書いたけど、会場の赤坂区民センターは講演用ホールのような場所で、ステージも大変に狭く、ものすごい庶民感溢るる場所。セットも会場備え付けの暗幕の前にL字型の障子(納戸、いわゆる「一間」)を立てただけのものすごい簡易なもので、これで脇役もいないとなるともはや現代演劇状態と申しますか「玉男様にこんなショボい舞台でやらせんな💢😡」と思ったのだが、知盛の人形が舞台に出てくると、白糸縅の鎧に白く輝く衣装を着た知盛の周囲だけ空気が違い、そこだけが現代の赤坂ではなく『義経千本桜』の世界になっているようで驚いた。最後、出陣のまえに、ステージ手前側に知盛が降りてくるくだりでは人形の大きさに驚き。どんな人形でもそうだけど、ちょこんと置いてあるとそんな大きく見えなかったり、逆にこけしのように棒立ち胴長で美しく見えなかったりするが、やはり人形遣いさんが持っていると違うのだなと思わされる。前述の通り今回は結構前のほうの席が取れたため、国立劇場よりも間近で観られる感覚で長刀(人間サイズ!)を振るう演技を迫力満点で観ることができた。

 

 

トークショーは高木秀樹さんを司会に、赤坂文楽のテーマでもある「伝統を受け継ぐ」について、玉男さんに先代玉男師匠から受け継いだ芸・心についてお話ししてもらうというもの。玉男さんはふんわりとしたやさしい口調で、柔和な雰囲気。渋い外見とのギャップに驚き。結構ビシッとした感じの方かと思っていたけど、とても自然体というか、落ち着いたほんわか癒し系の方だった。以下、お話内容の簡単なまとめ。

 

┃ 知盛の役について

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  • (会場で配布されていた資料に載っている「渡海屋の段」の舞台写真*1、知盛役の先代玉男師匠と、お安役の当時のご自身を見て)この写真は15〜6歳、入門して2年目ごろだと思う。太夫は津太夫師匠、三味線は寛治師匠(6代)だった。お安は実は安徳天皇なので身分の高い役だが、そのころはどう遣ったらよいか、まだよくわからなかった。先代玉男師匠は三段目のすしやの維盛でも出演していた。そこには勘十郎くん……そのころは簑太郎くんも六代君の役で出ていた。師匠は平家の“七盛”を遣っていた。師匠は栄三師匠を大変尊敬していたが、最終的には、栄三師匠より知盛を遣った回数が多かったと思う。

  • 大役の主役の足を遣えるようになるには、10年くらいかかる。知盛の足は1、2回しか遣ったことがない。そのうちに玉輝くんや玉志くんが入ってきて、左遣いになった。NHKから出ている『義経千本桜』のDVDに入っている映像は文楽劇場開場記念のもので、師匠は知盛、その左がぼく、足が玉志くんだった。師匠の左は25年くらい遣っていた。左遣いは舞台全体を見ていなければならないので、大変気を使う。

  • 幽霊知盛では、長刀の演技があるので左遣いが重要になる。師匠は初役で知盛を演じたとき、文五郎師匠に聞きに行ったらしい。なぜ女形遣いの文五郎師匠に?と思われるだろうが、文五郎師匠は知盛のかしらである検非違使を遣うのがうまかったらしい。検非違使にはピリピリ、キビキビした動きが必要で、文五郎師匠のそれは検非違使のかしらの性質をうまく表していたそうだ。
  • 知盛は「平家の大将知盛とは」のところで左手に持った長刀を大きく振る演技がある。このとき最初は刃を外側(上手側)に向けて振るが、上手には安徳天皇がいるため、畏れ多いとすぐに刃を内側へ持ち直す所作をする。これは師匠が文五郎師匠から教わったことだが、文五郎師匠が考えたわけではなく、口伝で伝わっていたことではないか。(ここでその所作を実演。左遣い・吉田玉佳さん、足遣い・吉田玉路さんのご紹介。ご自身で浄瑠璃を語りながら長刀を振って「ヤー♪」と掛け声をかける玉男様にキュン)
  • 幽霊の姿になると、銀平の姿のときとかしらが違い、手も違う。手は銀平のときはかせ手だが、幽霊の姿ではつかみ手(すみません、このあたりあいまい)。この手は5本の指が離れて動くようになっており、指先に真鍮が入っているのでチャキチャキ鳴る(実演)。最後に義経を討とうと出陣するときは「団七走り」。『夏祭浪花鑑』の団七は「韋駄天走り」で、これとは違う(と、知盛の人形で韋駄天走りの実演、玉男さん超笑顔)。「団七走り」は下手を向いて走っていくので客席からはわかりづらいが、人形には表情もつけている(舞台奥から手前へ向かって走る実演)
  • 自分はこんど64になるが、知盛のような大きい人形で腹のある役は「しんどい」。この人形の重さは10kg程度。師匠は最後、亡くなる2年前、85歳のときにも知盛を遣っていた。師匠は知盛の人形を自称「20kgある〜!!」と言っていた。「えーっ、ほんまですかー!」って……。……そこまではないです……そんなあったら持てません……(笑)。
  • 大きな立役の人形でも、弁慶は意外と軽い。4・5月第1部菅原の寺子屋・首実検の松王は大変重く、10kg以上ある。着流しであれだけ重いものはほかになく、左遣いの玉佳が助けてくれた。すべて自分だけで持ち上げているわけではなく、左や足がつくのでそこで少しラクになる。こういった大きな人形は若いころは重く感じるが、年をとると体力は落ちるはずなのにラクになる。それは経験を積んで力の抜きどころがわかるようになるからで、余計な力が入らなくなるのだろう。

 

┃ 先代玉男師匠のこと、一門のこと

  • 人形は、主遣いが出している「ズ」というサインを左遣い・足遣いが読み取って動かしているので、事前に打ち合わせをしなくても演技ができる。……ちょっとは打ち合わせしましたけど、1時間くらい前に……(笑)。なので、いまいきなりアドリブで演技をすることも可能。時々舞台でもアドリブをやって足遣い・左遣いがついてくるか試すことがある。先代は毎日違うことをやりだすことがあり、勉強になった。毎日同じことをやったらつまらんでしょ。
  • 左遣い・足遣いは主遣いの指示に従っていればいいが、主遣いは自分が演技をしなくてはならないので、床本をよく読んでいなければならない。自分のセリフ、なぜそのような行動をするのかをよくわかっていなくてはいけない。
  • (玉男さんの楽屋に行くと皆さん一生懸命床本を読んでいるのが印象的、ほかの人形さんの楽屋ではそんなことはないと振られ)それは先代が床本をよく読まれていたから。先代はあれだけ遣った徳兵衛でも、いつも床本を読んでいた。
  • 昭和の近松復刻は、長く上演が断絶していて初演も同然だったため、床本と音から理屈に合った演技を考えて作っていた。天満屋でお初に足をつけるのは先代が考えたこと。当時お初役だった栄三師匠は昔の人で、遊女の人形に足を吊るなんてと大変嫌がったが、先代がどうしてもやりたいと、そのときだけ人形とは別途用意していた足を出すという方法で出せるようにしてもらった。天満屋は歌舞伎でも拝見したことがあるが、歌舞伎だと足に顎を乗せてるんですね。喉笛へカミソリのように足を当てるのは文楽ならではの良さだと思う。(え? 歌舞伎も喉笛へカミソリのように足当ててるつもりなんじゃないの? 玉男様の独自の感性によるご感想???)
  • 天神森は、初演当時は徳兵衛が刀を構えたところで幕となっていたが、海外公演でわかりづらいということで、お初を刺す→徳兵衛も喉を突いて上に倒れるという流れに変えたらしい。それが国内公演でも演じられるようになった。ぼくが入座したときにはすでに突くやりかたになっていた。徳兵衛の相手役、お初の役は栄三師匠、簑助師匠、文雀師匠、先代清十郎師匠が遣っていたが、先代は簑助師匠とよく組んでいた。
  • (先代は女形も遣われましたがと振られ)師匠は女形の役もあり、加賀見山の尾上、野崎村のお染、合邦の玉手御前、忠臣蔵九段目のお石、先代萩の政岡も遣っていた。ぼくは女形の足を遣ったことはないが、当時、すべてではないが左には入っていた。
  • (二代目にも尾上を遣って欲しいのですがと言われ)尾上は……それはちょっと……遣えませんわ……/// 先代の尾上の役は、先代の気品、品格によるもの。師匠は菅丞相など、気品のある役をよく遣っていた。
  • 5月東京公演『加賀見山旧錦絵』で遣った岩藤は八汐と同じで歌舞伎でも立役が演じる役。自分は10年前の4月に大阪で遣ったのが初めて。岩藤は憎く遣わなくてはいけないと言われる役で、そのときは「もうちょっといじめないかんのかな?」と思っていた。今回は「憎かったかな?」と思っている。
  • (先代は人を斬るときの気迫がすごかった、足遣いで密着しているとその気迫が伝わってきて、いまから斬るぞというのがわかったと聞いていますがと振られ)……??? そんなことないと思いますけど(笑)。でも、人を斬る役はゾクゾクする役。『国言詢音頭』の初右衛門とか。
  • (玉男さんや一門の方は人形を遣っているとき「わて知らん」という感じで、表情が出ませんねと言われ)そんなことありません、ぼくは若いので(笑)表情が出てしまう。力が入らないように、無表情でできればと思っている。
  • 直弟子は4人いる。玉路、玉峻、玉延、玉征。それと弟弟子を預かっている。若い人を見て、若い人に教えるのは大切なこと。いちいち「ああして、こうして」とは教えられないが、舞台をよく見て、床本を読むように言っている。ぼくはどうしても忙しいときが多いので、玉佳くんが軍曹として教えている。ぼくが忙しいときは玉佳くんに質問してもらう。玉佳くんは聞きやすい人だし。
  • (若手会には左などで出演されるのですかと聞かれ)ぼくはもう出ていなくて、監修の立場。玉佳くんたちが応援で黒衣で出る。いまの若手会は玉勢くん、簑紫郎くんたちが主だってやっている。
  • (知盛の役は先代玉男師匠から玉男さんに受け継がれ、次は玉佳さんに受け継がれるんですねと振られ)玉佳はずっと初代の足を遣っていて、ぼくの左についているので、よくわかっていると思う。

 

┃ 幽霊知盛と碇知盛

  • 渡海屋(幽霊)と大物浦(碇)では、渡海屋のあいだのほうが「しんどい」。これから義経を討とうと出陣する場面があるので。着流しの人形は基本的に自分も気持ちをゆっくりできるが、大きい役は腹にグッと力を入れて遣わなくてはならない。『菅原伝授手習鑑』の松王は「しんどい」役。「腹がある」役は気を使って遣わなくてはいけない。碇は手負いなのでそれに比べるとラク。髪を捌いている役はどんな役でも気分的にラク。だませるから……(←?)

  • 碇知盛は三味線のメリヤスに乗って登場し、軍兵の人形と戦うカラミがある。注目してみてください。
  • (ツメ人形でも、キャリアが長い方が遣っていることがありますね、玉男さんはいつまで遣われていましたかと振られ)ツメ人形は40代くらいまでやっていた。人手の少ない巡業や地方ではツメ人形で出たりすることもあるが。一人遣いのツメ人形は難しい。とくに『一谷嫩軍記』の「脇ケ浜宝引きの段」に出てくる百姓のツメ人形はやることが多く、難しいですね。
  • (付記:昨年9月東京の宝引きのお百姓ツメ人形のみなさんの写真がありました。下記twitter引用ご参照。たしかに出遣いでいいでしょうというような豪華配役。ツメ人形だけで長時間演技するので、技量のあるひとしかできないんでしょうね。……というか、みなさんご自身のお顔立ちとツメ人形の顔が似ているのは気のせい??) 

 

  • 碇知盛は碇を持って極まるところが見所。段切で知盛は碇を頭上にかつぎ、頭から後ろ向きに海へ落ちる(入水する)。文楽はこの碇についているヒモが短い。歌舞伎はものすっごい長いですね。海に飛び込むところは歌舞伎ではバク転するけれど、文楽の場合空中で人形が逆さまになってゆっくり落ちる。このときポンとそのままひっくり返したら足の形がメチャクチャになってしまうので、足遣いが足を綺麗な形に作るのが大切。師匠は余韻が残るよう「跡白浪とぞなりにける」でゆっくりやるように言っていた。ここは三人以外にもうひとり介錯がついて、四人遣いのようになる。
  • 大物浦のセットはずっと昔から島状になっていて、小島と千鳥(とりピーピー)を出していた。なんでかな?と思うんですけど……。小舟で行かんでいいんかな?と思うんですけど……。(このあたりよくわからなかった。玉男様の独自の感性の話でしょうか)

 

トークショーはここで時間切れ。玉男さんの意外な一面を知ることができて、面白い1時間だった。人から「玉男さんはボソボソとしか喋りませんよ」と聞いていたのでトークショー1時間もあるのがとても心配だったのだが(クソ失礼)、聞き上手の高木さん相手だとお話されやすいのか、マイペースに楽しげにお話されていた。でもやっぱりお人形を持ってお話されているときが一番いきいきされているね。そして、上記まとめではニュアンス伝わらないと思うけど、玉男さんは玉佳さんを本当に頼りにされているんだな〜と感じた時間だった。

 

 

 

最後は碇知盛の実演。これも暗幕前というセットも何もない場所での実演だったが、前半とおなじように人形はその空間から次元が切り離され、くっきり浮いて見える。呂勢さん燕三さんもそうなんだけど、本当この厳しい状態でよく間が持つなと思う。イベント等でのお若い方のデモンストレーションだと、この間が持っていない(本当にデモンストレーションにすぎない)ことも多いので、さすがベテランは違うと思わされた。この部分の冒頭では左遣いが転倒するという意外な(?)ハプニング。倒れる寸前に左手をきれいな形にしてすぐ離されたので、人形の演技には影響なかったが大丈夫でしたでしょうか……すぐ介錯の子が飛んできて、もとのポジションに戻られたので平気かと思うが。余計なこと観察してても失礼なんだけど、ものすっごい狭くて背後余裕なし、手すり超ギリギリの場所でやっているからだろう。本当大変だわと思った。

段切、碇をかついで海に飛び込む部分のみ岩場と海のセットを出して上演。足場が悪そうでみなさん無茶苦茶な姿勢になっておられたけど、見事だった。話題になっていた、入水するときの足の形やスローモーションのようなゆっくりした動きもなるほどと。この最後の部分、私が最初に観に行った昨年2月の東京公演だと知盛が勘十郎さんで、そのときは一瞬で碇と一緒に落ちていた。私は知らなかったのでそういうものかと思っていたけど、どうもそれは文楽の定法の型ではないらしい。その一瞬で落ちるという演出については色々な意見があるようで、今回のトークショーでも話題に出た(振られても玉男さんはそうらしいですねーとしか返していなかったが……)。歌舞伎では役者が普通に重力に従って落ちるようだが、文楽は人形が演じているため重力にとらわれない動きができるので、ゆっくり落下するという人形浄瑠璃であることを活かした演出になっているようだ。

 

 

今回は床の正面になる席が取れたため、太夫さんの語りも三味線の音も満喫。音響悪い会場だなとは思うけど、以前のように「太夫の声が琴の音より小さい」という悲惨な事態にはならず、十分楽しめた。でもやはり悪い環境でも輝いて見える人形が一番印象的だったな。ダイジェストなのが勿体無い。次に本公演でこの段が出るときには、知盛役は玉男さんで観てみたい。

 

 

 

 

*1:調べたところ、その写真は1970年(昭和45年)4月朝日座公演の通し上演の時のもののようでした。