TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 3月地方公演『妹背山婦女庭訓』『近頃河原の達引』府中の森芸術劇場

地方公演、10月にも行っただろと言われそうだが、配役が変わったのでもう一度行った。

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会場となる「府中の森芸術劇場」は、最寄駅は京王線の東府中、そこから大きい道なりに徒歩7分程度と、地図で見るぶんにはわかりやすげな場所なのだが、駅に「府中の森芸術劇場 右の北口出て左に曲がり横断歩道渡って右に曲がって横断歩道ウンヌンカンヌン」と、金殿の豆腐の御用が教えてくるお清所の場所かよっていう文章での案内が出ており、混乱させられた。

府中の森芸術劇場」はオーケストラピットのあるコンサートホールを含めた複数のホールを持つ大型の劇場施設。文楽はそのうち「ふるさとホール」という伝統芸能等を上演する小さめのホールが会場で、文楽劇場のように左右両翼に桟敷席が設置されていた。定式幕を引ける構造になっているものの、道行で吊るす浅葱幕を落とすことができないようで、引き上げで対処していた。

 

 

昼の部は『妹背山婦女庭訓』。人形の配役はお三輪=豊松清十郎、求馬=吉田和生、橘姫=吉田文昇、鱶七=吉田玉也。

お三輪は10月公演(桐竹勘十郎)より、より幼く、透明感のあるいたいけな感じだった。勘十郎さんは(杉酒屋の時点では)おっとりしたお嬢さん風だったが、清十郎さんは等身大の少女的な感じ。和生さんの求馬は優柔不断のクソ野郎にはならず、なんらかの意図があってそうしていることを匂わせる、ぴんとした印象だった。貴公子感が相当あった。

杉酒屋の段。お三輪が不穏な様子。子太郎(吉田玉勢)が余計なこと吹き込むあたりが一番不穏な様子なのだが、手の震えはそれはそわそわや不安を表現しているのか、それとも何らかの不本意な理由によってそうなってしまっているのか。背中に差していたうちわを手鏡のようにかかげるところ、かしらはしっかりしているのだが、持ったうちわがカタカタしているのが目立ってしまっており、後者なら心配。もしそうなら本当、お忙しいのはわかっているがなにより大事なお身体、ご無理のないようにしてほしい。意図だとしたら、求馬の言い訳を聞いた後(〽さすがはおぼこの解けやすく)以降は普通にしているのと、身分が違い仕草も異なる橘姫が出てくると差異が際立つので意図はわかるのだが、少々やりすぎのように感じる。

杉酒屋の床は咲太夫さん・燕三さん。最後、お三輪を追いかけてお三輪ママが駆け出すと、ママの帯に結わえつけられた酒樽の栓が抜けるところ、コポコポコポ〜酒がこぼれるぅ〜ああもったいないぃ〜って感じの三味線でよかった。

 

道行恋苧環。三味線が良かった。2月本公演より良かった。それにしても10月勘十郎さんのお三輪は相当やばい女で、あれに二股かけたら道行で一緒に踊らずその場で求馬がメッタ刺しにされても仕方ない感あったな。勘彌さんの橘姫を袖でおもいっきりぶったたいてキーッてやってたし。いや勘彌さんも負けじとぶったたいていたが。今回のおふたりはポンっと当てる程度でかわいらしかった。

 

姫戻りの段、金殿の段。10月勘十郎さんは相当エキサイトしていたが、今回の清十郎さんは金殿ではだいぶかわいそげな感じで、官女にいびられるところもかなりシオシオしているが、とくに鱶七に刺されたあとはもう死んでるのかなってくらいおとなしい。勘十郎さんは官女にいびられたあと相当狂乱していて鱶七にも楯突いていたが……。演技の組み立ては人によって違うのだなと思った。今回はお三輪がおとなしい分、最後に鱶七が正体をあらわす場面が際立っていた。冒頭に登場する豆腐の御用(吉田簑二郎)はお局様感のあるゲスでよかった。

金殿は我がお気に入り、津駒太夫さんが出演されていた。津駒さん、床が回った瞬間から (>_<) って感じの必死な表情と申しますか、トイレに行きたそうな表情なのがいつも気になっていたが、今回、かなり上手寄りで床がよく見える席になったのでじっと津駒さんを見ていたら、なにもはじめから必死なわけではなく、おそらくもともと必死感のあるお顔立ちで、上演前からお顔が (>_<) って感じになっているのは、単にパチクリまばたきされているだけのご様子だった。いや上演中は本当一生懸命でいらっしゃいましたが。上手に座ると気づくことが多いなと感じた。

 

 

夜の部は『近頃河原の達引』。人形の配役は与次郎=吉田玉男、伝兵衛=吉田簑二郎、おしゅん=吉田和生。

堀川猿回しの段、帰宅してきた与次郎がかぶっているてぬぐいがネコミミ状でかわいかった。与次郎は帰宅後、母に薬湯(お茶?)を飲ませる、今日のあがりを数える、お茶をわかす、たばこを吸う、ご飯を食べるなどやることが多いが、やることそのものは同じでも、10月の勘十郎さんと内容が違っていておもしろかった。ご飯を食べるところでは、勘十郎さんは「おひつからごはんをよそおうとするが、お弁当の残りがあることに気づいて、お弁当の残りのおにぎりをつつましく食べつつ、わずかなおかずである梅干しを酸っぱそうにちょびちょび食べる」みたいな庶民的な姿を表現する流れにしていたと思うが、玉男さんは「まずはお弁当の残りのおにぎりを食い、おひつのごはんもすべてさらえて残さず食う。でも梅干しはちょっとかじっただけで微妙な顔になり、即座に皿に戻す×2回」という流れだった。玉男さんの与次郎は自然体に生きておられるようだが、梅干しはお嫌いなようだ。よく見ると何かやるごとにひんぱんに眉毛をぴこぴこしていて、チャーミングな印象だった。

それはともかく、与次郎が足拍子を踏むたび、その振動で七輪の箱の上に乗った急須がぴょんぴょん飛び上がり、カタカタだんだん傾いてきてひっくり返りそうになっていたのでドキドキした。後ろの席の人は、最後、マンガみたいに急須が傾いたとき、「はっ」と声を出してしまっていた。あと一回足拍子が入っていたら玉男様がギャグになってしまうところだった。

和生さんのおしゅんの気品はさすがだった。掃き溜めに鶴。どうしてあの兄にこんな妹がいるんですかねって感じだった。

堀川の冒頭で、与次郎の母(吉田文昇)が三味線を習いに来ている女の子(稽古娘おつる=吉田玉彦)と合奏するところ、見ているとさすがにベテランの文昇さんのほうが三味線弾いてる感ある遣い方。バチを持つ手の腕の張り方と三味線への引っ掛け方、バチを弦に当てる角度がうまく、人形が持っているのは拵えものの三味線なのに、本当に音が鳴っていそうだと感じた。

そういえば10月に見たときはどうなっているのかわからなかった七輪の箱の火の粉、やっぱりあれは本当に火がついているんですね。与次郎が七輪の箱をうちわであおぐと、ほんのりと炭が燃えるような香りがした。たばこも本当に火がついているようで、杯を落とすとき、灰が落ちきるまできせるをカタカタ打ちつけていた。

 

 

公演日が3月11日だったため、冒頭の解説では東日本大震災の被災者のかたへのお見舞いの言葉があった。

解説は昼は靖太夫さん、夜は咲寿太夫さんで、双方で解説の組み立てが違っており、それぞれ独自に考えているんだなと思った。夜のほうは解説中、字幕立看板のGマークくんに独自の字幕(セリフ)を流していたが、あの字幕の内容も咲寿さんが考えたのかな。

会場規模は国立劇場小劇場くらい。客席に適度な傾斜がついていて人形が見やすかった。昼夜ともほぼ満席で、お客さん年齢層は本公演より若め。特に夜の部は(当社比)若い人のほうが多いほど。浄瑠璃の詞章や人形の仕草ひとつひとつにみなさんキャッキャと盛り上がっておられ、暖かい雰囲気だった。咲寿さんが解説で「文楽を初めてご覧になるかた?」と会場に尋ねておられたが、挙手されたのは3割くらいか。でもこれで文楽初めて観るっていいですよね。出演者も豪華だし、人に土産話を話せるような演目や内容ですからね。

今回はチケットをプレイガイドで取ったため席が指定できず、昼夜とも本公演では取らないような床の間近の席になった。やっぱり床に近いほうが三味線の音が綺麗に聞こえるな。離れた席とは音の澄みきり感やピンとした緊張感が違い、大変な贅沢感があった。これから本公演でもときどきは床の前の席にしようかしらん。でも人形は少々見づらいね。いや、人形は見えるのだが、人形遣いが見えない。昼の部、橘姫が衣をかついでいるときの文昇さん、夜の部の官左衛門役の玉也さん、お姿が人形に隠れてよく見えなかった。

 

10月地方公演(横浜公演)の感想はこちら 

 

 

  • 『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』杉酒屋の段、道行恋苧環、姫戻りの段、金殿の段  
  • 『近頃河原の達引(ちがごろかわらのたてひき)』四条河原の段、堀川猿廻しの段

文楽 赤坂文楽 #16『本朝廿四孝』奥庭狐火の段 赤坂区民センター

赤坂文楽は、東京公演会期付近に赤坂区民センターで行われている単発公演。夜7時開演とはいえ渡世の義理に縛られた身では平日夜のお出かけは難しいのだが、つばさがほしい、はねがほしい、とんでいきたい、とばかりに馳せ参じた(きつねの霊力はないので東京メトロ利用)。

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第一部は勘十郎さんのひとりトークショー

いままでは勘十郎さん・玉男さんのふたりで映像を流しながら昔の師匠の話などをコメントしていたそうだが、今回は「相方がいない」ということで、勘十郎さんがおひとりでお話をされていた。トークショー中も舞台上に灯篭や泉の橋など「奥庭」の上演用のセットが出しっぱなしになっており、そのセットの解説もあり。以下、トーク内容まとめ。

 

┃ 「お初」の役 〜2月東京公演所感、4月大阪・5月東京公演に向けて〜

  • きのう(2月20日)までの2月の東京公演は『曾根崎心中』でお初の役をいただいた。おかげさまで、1月の大阪につづき2月も大入り袋が出てよかった。東京の『曾根崎心中』では玉男さんが相手役だったが、4月の大阪公演では清十郎が徳兵衛。この配役は初めてなのでどうなるのか、自分でもわからない。
  • そして5月の東京公演でもまた「お初」の役。同じ「お初」でも、『加賀見山旧錦絵』の召使お初。これは思い出深い役。14年前の襲名公演のとき、夜の部で『加賀見山』が出たが、お初役の一暢さんが病気休演されて、お前がやれ!と代役が回ってきた。お初は甲斐甲斐しく世話をするなどやることが多く、大変な難役。そのときが初役で、昼の襲名公演がどーでもえー!となるほど頭が真っ白になった。いや、どうでもよくはないです、ちゃんとやりました!

 

┃ 八重垣姫

  • 1月の大阪公演は『本朝廿四孝』の八重垣姫を初めて「十種香」「奥庭」通しで遣った。「奥庭」はよくやっているが、「十種香」は初めて。いままで誰がやっていたかというと、師匠(吉田簑助)。師匠は「十種香」が好きでいつも「十種香」を師匠が遣い、あとやれ、で「奥庭」が来ていた。
  • 今回、各人に配られる配役表の封筒を開けて、「十種香」の八重垣姫が自分になっていたので驚いた。しかも師匠が腰元濡衣役で驚いた。今年は自分が師匠に入門して50年の節目にあたり、短い時間でもいいから師匠と共演したかったので嬉しかった。自分は芸歴50年、師匠はもっと上で75年。歳は20歳離れている。この歳で、現役で師匠と一緒に舞台に立てることがほんとうに嬉しい。
  • 「十種香」の八重垣姫は難しい。八重垣姫は「三姫」といわれるお姫様役の中でも最高位で、座頭がやるような役。複雑なストーリーが展開する『本朝廿四孝』のうち「十種香」「奥庭」は典型的な四段目で華やかな場面だが、「十種香」の八重垣姫は冒頭の十数分じ〜っとしており、そこが難しい。存在感がないとお客さんに観ていただけない。後ろ姿で芝居をしなくてはならない場面で、気苦労が多かった。しかも腰元役の師匠がず〜っと横におるし……。
  • 師匠は何も言わないが、「入門から50年経ったんか〜やってみ〜」という気持ちでいつも自身がやっている役をくれたのかなーと思った。上演中、ときどき師匠が「チラ」とこっちを見ていて、「50年でそれか〜」と思われているような気がした。いままでの修行の成果を出すべく、全力で頑張った。(お客様には)「またきつねか〜」と思われるかもしれないが、好きなんです。

 

┃ 奥庭の舞台装置ときつね人形

  • 今回の舞台の手摺は二尺六寸。基本(本公演)は二尺八寸だが、舟底のない通常の会場で二尺八寸にしてしまうと、手摺が高すぎて客席からは見上げの姿勢になってしまうため、会場にあわせて手摺の高さを調整している。場所によってはもっと低く設定することもある。
  • (奥庭用のきつねの人形を手にして)にほんごであそぼ」などではきつね色のきつねを使うこともあるが、文楽では基本的にきつねは霊性を帯びた生き物なので、白ぎつね(きつねの動きを実演。顔で背中をかく仕草など)文楽のきつねの人形は一見犬に見えるが、しっぽが違う(しっぽをポインとはねあげながら)。きつねの遣い方は(1)しっぽを上げない。上げると犬に見える。(2)顔を上げない。上げると妖しさがなくなる。という口伝がある。
  • 補遺:この実演のとき、勘十郎さんがきつねを遣っていないあいだはきつねはやはりただのぬいぐるみでぐったりしており、勘十郎さんが遣うと大きな動きをさせなくてもちゃんときつねに見えるのが不思議だった。しかし勘十郎さん、遣ってないあいだはきつねの喉をひっつかむというわりとラフな持ち方をされていて衝撃。狩られたきつねの死体のようだった。
  • 父の先代勘十郎はきつねを遣うため、天王寺の動物園へ勉強に行っていたが、何度行ってもきつねは寝ていた。父曰く、「動物園は朝行かなアカン。どうぶつはエサ食ったら寝てしまう」

 

┃ 「にほんごであそぼ」の文楽どうぶつ人形たち

  • 今日(2月21日)はNHKの「にほんごであそぼ」のロケで朝8時から船橋アンデルセン公園へ行った。風が強すぎて、予定本数が撮れなかった(この日は関東地方すさまじい強風)。そのロケに一緒に行った仲間を紹介します。

 

その1 いぬ(一人遣いぬいぐるみ)

↓ こいつ(驚異のぶりっこ写真帳、勘十郎様FBを貼っておきます)

  • イソップ童話で、水に映った自分の姿を見て吠えてしまい、口にくわえていた肉を落とすいぬ。自分で作った。耳が立つのと、目が開く(まぶたが動く)つくりにした(肉を落としてしまい、はっ!とする表情を実演、かわいー!!と客席大喜び)
  • 文楽にはあまりいぬが出てこない。『冥途の飛脚』の羽織落としで忠兵衛とぶつかるいぬ、『伽羅先代萩』で若君が飼っている狆くらい。あれらにはあまり仕掛けがなく、動かない。
  • 補遺:このいぬまじでかわいいです。ハンドパペットやミニぬいぐるみにして、NHKのショップで売ってほしい。ちなみにこやつ結構大きくて、奥庭のきつねよりひとまわり以上大きかったです。つよそうでした。

 

その2 かっぱ(三人遣い)

  • 文楽劇場にはハムレット、お岩さんなど、ずっと使われていないかしらがたくさん眠っていて、もったいなく思っていた。これはそのうちのひとつ、かっぱのかしらをリメイクして作った人形。からだは自分で作った。水かきもある(かっぱ、おてて広げてアピール)。体とかしらにはちりめんを貼った。
  • かっぱのかしらはとても古い。かつて紋十郎師匠がお客様に呼ばれて出るお座敷の座興のために作ったもの。「河太郎」という名前で、小唄にあわせてすすきをかついで踊る人形だった(このあたり話が高度すぎてよくわからなかった)。

 

その3 たぬき(三人遣い)

  • 文楽劇場の奈落で長い間眠っていたもの。NHKから「かちかちやま」をやりたいと言われ、たぬきもうさぎも人形がないんやけど……と思っていたとき、小さい頃のアルバムに、劇場の楽屋で姉と自分とたぬきの人形とで写った写真があったのを思い出した。小道具さんに頼んで探してもらい、奈落で見つかった。かなり古いものなので、おなかの白い部分を(とても大きいぽんぽんをなでなでしながら)あたらしく貼りかえてもらった。うさぎは耳が動くものを作った。
 

┃ 新作、こども向け文楽演目について

  • 30歳になるかならないかのころ、幼稚園で上演する用に「ひょうたんいけのおおなまず」という話を作った。こども向けの演目は必要ないと言われることもあるが、文楽は99%悲劇なので、こども向けにはたのしいもの、きれいなものをやりたいと思っている。古典になるものはまだできていないが、どんなに忙しくても、大阪の夏休み公演第一部のように、みんなで新作に取り組むようにしている。
  • 新作は作曲と本(脚本、浄瑠璃)が難しい。良い芝居は良い曲と良い本によって成立する。文楽では名曲と言われる『義経千本桜』の道行(道行初音旅)、『忠臣蔵』の道行(道行旅路の花嫁)でも、オペラのように作曲者の名が残ってはいないが、曲はとても大切な要素。自分が書いた新作は全部清介さんに曲をつけてもらった。作曲料は出世払いということにしてもらって……(はっとして)ぼくまだ出世してないんでまだ払ってないです!
  • 幼稚園で上演するにあたり、幼稚園の先生にあらかじめこどもが飽きないで見られる条件を聞いた。(1)15分以内、(2)動物が出てくる、(3)常に人形か舞台が動いている(人形が会話しているだけというのはNG)。「ひょうたんいけのおおなまず」は、釣り人と大鯰の対決の話で、いつもエサだけ取られて釣れない釣り人がついに大鯰を釣り上げる(が結局またエサだけ取られて逃げられる)だけの15分程度の短い演目。
  • 前半は舞台を下手「釣り人のいる池の淵(土手)」上手「なまずのいる池の中」に分け、釣り人がなまずを釣り上げるとなまずが上へ持ち上がって舞台転換し、舞台全体が上手側へ移動して、下手側からなまずが出てくるという仕掛けにした。これで飽きずに観てもらえた。
  • 現在、太夫・三味線・人形すべてで今までにないほど引き合いが多く、本公演以外も仕事が多くて忙しいが、そのなかでもみんなでいっしょに新作への取り組みを頑張っていきたい。
  • とか言って、あした締め切りの原稿まだ終わってないんですけど……

 

┃ 新著『一日に一字学べば…』

  • 宣伝みたいになってしまいますけど、『一日に一字学べば…』という本を出しました。(とか言いつつ別に本は持ってきていない勘十郎様……)
一日に一字学べば……

一日に一字学べば……

 
  • 題名の「一日に一字学べば…」は、『菅原伝授手習鑑』寺入りの段で菅秀才がいう台詞。菅秀才て、名前からして頭よさそうですね……。これは、1日に1文字ずつでも学んでいけば、360日(太陰暦の一年)で360文字を学べるという教えで、自分が好きな言葉。タイトルの語尾に「…」がついているのは、自分は学んだわけではないから。
  • 文楽の芸も一足飛びにうまくなることはなく、1日に紙1枚ずつ積んでいくようなもの。誰も見ていないからと言って無造作に束で積めば、狂いが生じてきて積めなくなってしまう。それが怖い。
  • 文五郎師匠は、出の拍手で「自分は人気がある」と調子にのってはいけないと戒めた。芸のわかる人は拍手をしないという。芸がよければ終わりに大きな拍手をいただける。しかし本当によかったら、お客様はうなづくだけだと。
  • 菅秀才といえば、小さいころ、歌舞伎の舞台で子役をやらされて失敗したのが思い出。寺子屋へ松王丸と春藤玄蕃が検分に来るときに並ぶこどもの役で、姉も出ていた。自分は頭が大きくて、子役用のいちばん大きなかつらでもきつくて、頭が痛かった。玄蕃が門口でこどもを順番に掴んで検分するのだが、自分の番が来たとき、わらじを履いてくるのを忘れて、履きに戻ってしまった。あとで玄蕃役の方から「そういうときはそのままでいい」と叱られた。よだれくりのようなこどもだった。(このあとちょっと上方歌舞伎の役者さんの話。知識なさすぎて何を話されているのかまじでまったくわからず)

 

人形遣いの修行と今後

  • 足遣い、左遣いの頃、師匠から「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜(ものすごく脱力した深いため息)」と言われた。「早い」「遅い」と言ってくれればいいが、言ってくれない。そのうち、何も言われなくなる。それがいちばん怖い。
  • 師匠が『伽羅先代萩』で政岡を遣ったとき、自分は左遣いで入っていた。政岡は左が難しい役で、まま炊きでうちわを振るときなどは細心の注意を払って遣ったつもりだったが、師匠は「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と言ってきた。おそらく、左遣いとしてはよく出来ていても、政岡の左になっていないという意味だったと思う。
  • 師匠もかつて、その師匠に「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜……… お前もそのうちわかるわ〜〜〜……」と言われたそうだ。自分が師匠の足、左だったとき、同じことを師匠から言われた。そしてまたぼくもいまそれを実感している。
  • 文楽の研修生制度について、人形に関しては講習2年は長いと感じている。太夫、三味線は色々とやることもあるのだろうが、ぼくは人形は1年経ったら舞台・楽屋実習をさせている。舞台の袖から上演を見るほか、できることから経験させている。失敗しながら学んでいってほしい。
  • 先人の教えで「言われたことはすぐ忘れる」「聞きに来い、聞きに行かないならわかっていると思われる」というのがある。といっても聞きに行くと、「まだ早い」と言われる。これはどういうことかというと、あまりに自分の力に見合わない、例えば自分の力が2のときに5のことを聞いたということ。基礎ができていないときに教えると、変なくせがついてしまう。先輩たちはよく見ている。
  • 足遣いは大変な仕事。(腰を落とし、実際に足遣いの人の姿勢をしてみせながら)こういう姿勢でいつづけるのは若いときしかできない。人によって10年、15年と経験期間は違うが、自分は足遣いが面白いと感じるようになったころに左がつきだした。そのときは、端役の主遣いを振られるより、主役の足のほうをずっとやっていたいと思っていた。
  • 左遣いは、足遣いより体勢的には楽だが、常に気を張っている。昔は主遣いが倒れたとき(その瞬間かしらを受け取って構える仕草)、すぐ交代できる人が左遣いと言われていた。いまは若い子にも左につかせているので、少し違うが。
  • 昔は足遣い、左遣いのままで一生を終える人もいた。しかし、人形遣いとして名が残らなくても、左遣いとして座頭が頭を下げて左を頼みに来るほどの人もいた。かつて栄三師匠が八重垣姫を遣うとき、桐竹亀三郎という左遣いの名人にいつも左に入ってもらっていた。「十種香」の冒頭、八重垣姫は上手側で客席に斜め後ろの姿を見せて座っており、左手側が客席を向く。なので左の演技が肝心で、このとき左遣いが失敗すると完全な後ろ姿になってしまい、客席から祈る姿が見えなくなる。また、「十種香」では八重垣姫は打掛を着ているので、左遣いがしっかりしていないと打掛の重さがすべて主遣いにかかってしまう。
  • 自分は動く人形であればなんでもやりたい。体力は年齢とともに落ちていくが、気持ちは落とさずやりたい。若い人に芸を形を崩さず受け継ぎたい。襲名も名前を預かっているだけなので、「桐竹勘十郎」の名前を落とすことのないよう、できれば上げることのできるよう、今後も頑張りたい。

 

やさしい口調で1時間淀みなくのお話。11月の三井記念美術館の対談式トークショーではあまりにおっとりされていて不安になったが、おひとりで人形の話をされている今回のほうがはるかにイキイキとされていた。基礎知識的内容なので上では省いたが、三人遣いの発祥の解説などは年号含めかなりスラスラ喋っておられた。勘十郎さんはおひとりのほうがパフォーマンスが上がるタイプなのかも。そしてやはりお人形を持っておられるときが一番楽しそうなご様子だった。

 

 

 第二部、『本朝廿四孝』奥庭狐火の段。

ステージは間口がかなり狭く、本公演のような船底・段上の2段に別れる綺麗なセットの組み方ができないようで、かなりコンパクトに入り組ませた立て込みになっていた。

ネガティブなことから書いてしまうが、会場、義太夫節を聴く環境として悪すぎる。おそらく講演会用のホールで音楽用の音響設備ではないというのも大きいんだけど、会場の建築構造上、床を客席に張り出して設置できずステージ上手袖に設置しているため、そもそもが音が聞こえづらい。私の席は上手かなり後列だったこともあって、いちばん奥側に座っている呂勢さんの声がかよわくしか聞こえない。三味線の音も本公演の会場のようなピーンと張った響きがまったくなくて、かなり華奢。ステージ上の音がどれくらい聞こえないかというと、藤蔵さんの掛け声が気にならないくらい聞こえない(クソ失礼)。唯一はっきり聞こえたのが琴(鶴澤寛太郎)。なぜなら、床が狭すぎて琴を本公演のようにまっすぐ置けず、床に対して斜めに置いているため、客席上手側正面を向いて弾いている状態になっており、上手に座っている私からすると琴の音が真正面になるため、一番大きく聞こえた。というか、太夫の声が負けそうになっていた……。前列席だとまた聞こえ方も違うだろうが、ご本人たちはいつも通りやっているだろうにこれはなかなか辛い。なお、私の席は上手寄りすぎて上手側の舞台袖に隠れてカンタローの姿が見えず、「連れ弾き、誰?????」状態だった。

そんなこんなで冒頭部分〜きつねが演技をしているあいだは「どうしよう……」と思っていたのだが、きつねが去って、カラカラと履物の音を響かせながら八重垣姫が現れた瞬間ステージの空気が変わった。ステージが狭く立て込みも特殊という劣悪な環境で人形のパフォーマンスが下がらないのがすごい。八重垣姫の演技は本公演とかわらず鳥肌もので、これは誇張でなく実感として、人形のまわりだけ時空が歪んでいるようだった。本公演だと客電落とした客席含め劇場空間すべての雰囲気が変わり異界に飲み込まれるイメージだけど、この公演だと客電つけたままで上演していることもあり、八重垣姫の半径1m以内だけ異界になっている印象。

ちなみに八重垣姫は狐の霊力が乗り移ってからも左、足は黒衣。引き連れている白狐は2匹でこれも黒衣でした。

 

 

とはいえ、トークショー付きで派手な演目を豪華な配役でやるというのはやはり引きが強い。価格設定は5,500円と本公演並みだが、それに見合った内容と言える。ステージの狭さは目をつぶるとして(こじんまりとした演目ならむしろいいのかもしれない)、これであとは音響さえよければいいんですけどね。会費上がっていいから会場変えてくれないかなぁ。

トークショーは初心者向けではなくファン向けのハイコンテクストな内容で満足度が高かった。イベント自体は一応初心者もターゲットのようだが、さすがにトークショーは勘十郎さんのキャリアをある程度理解していないとよくわからないと思う。演目選定は初心者の私からしても初心者向けにとても良いと思う。

会場キャパ400席で満席だったが、客筋は大阪公演か若手公演のような雰囲気。東京本公演のようにたしなみ感覚で来ている人はあまりいないようで、後列までほぼ全員が固定の文楽ファンだろうと感じた。年齢層は本公演より若めで、会社帰りの人が多いか? 開演ギリギリに来る人も多く「7時はちょっと厳しい」と話されている方の姿もあった。私も開演7時半くらいのほうが嬉しい。

次回5月は玉男さんと燕三さんがご出演ということで、四つ足で駆けてでも行かねばと思っているが、なんとかして少しでも前列下手の席を取らないとせっかくの燕三さんの三味線が勿体無い。この赤坂文楽太夫さんや三味線さんのファンの人はどうしてるんだろう。やはりみなさん何がなんでも前列を取っているのだろうか。それとも音響に目をつぶって……いや、耳をつぶって(?)おられるのだろうか。同じように外部主催による単発公演・にっぽん文楽でも後列席だった方は床の聞こえ方に対してかなり強い不満があったようだが、本公演以外は会場状況が事前に予測できず、やはり色々と当たり外れがあるなと感じる。

 

 

 

文楽 2月東京公演『冥途の飛脚』国立劇場小劇場

一度は思案、二度は不思案、三度飛脚。戻れば合はせて六道の、冥途の飛脚と

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『冥途の飛脚』は記録映像映画『文楽 冥途の飛脚』と内田吐夢監督の劇映画『浪花の恋の物語』で観たことがあり話を知っているので、初心者ながら予習はバッチリ。また、第一部・第二部とは別日に観劇したので、パンフレットの鑑賞ガイドを予めしっかり読んでおけた。おかげで筋の理解に気をとられることなく芸そのものに集中でき、ゆったりした気持ちで観劇できた。

 

 

淡路町の段。

送り出す荷物を搬出したり、為替金の問い合わせに客が来訪したりで忙しい飛脚屋・亀屋。亀屋は大坂の飛脚屋の中でも鑑といわれるほどの立派な店だった。その後家・妙閑(配役・吉田文昇)は不在にしがちな後継の養子・忠兵衛(吉田玉男)の近頃の素行の悪さを気にしており、小言を聞かされる手代(吉田勘市)はそのフォローと店の切り盛りに手一杯。帰ってきたものの家に入りづらくうろうろしていた忠兵衛は、店先で友人の八右衛門(吉田簑二郎)と出くわす。八右衛門は亀屋に届くはずの金五十両の到着が遅延しているクレームにやって来たところだった。忠兵衛は、実はその金はすでに到着していたが、それを田舎客に請け出されそうになっていた新町の女郎・梅川(豊松清十郎)を先に身請けしようと、手付金として勝手に使ってしまったと告白する。八右衛門は言いにくいことを正直に告白した忠兵衛への友情として、支払いは待つと言って帰ろうとするが、話し声を聞いていた妙閑が現れて八右衛門に上がってもらえと促す。八右衛門が仕方なく亀屋へ上がると、妙閑は忠兵衛に五十両を早く渡すようにと言いつける。もちろん五十両はどこにもなく、忠兵衛は仕方なしに鬢水入れを紙に包んで小判の包みに見せかけ、八右衛門もそれを承知して芝居を打って包みを受け取り、文盲の妙閑にはわからないようかたちばかりの受取を書いて帰っていった。
夜更け、遅れていた江戸からの荷物が到着した。その中にはさきほど催促を受けた堂島の武家の為替金三百両も含まれており、忠兵衛はさっそく客先まで金を届けに行くことにした。ところが忠兵衛、気がついたら遊里・新町の前に立っていた。忠兵衛は引き返して堂島へ金を届けに行くか、それともこのまま梅川に会いに行くか迷うが、羽織がはらりと落ちたことにも気づかず、ついに新町のほうへ足を向けてしまう。

忠兵衛のしょうもない、かわいい男感がすばらしかった。イヤー玉男様ーって感じだった。どれくらいしょうもなかわいかったかと言えば、休憩時間にトイレに並ぶ着物姿の奥様方がダメ男の話題で盛り上がっていたくらいである。近くの席のオッチャンも「いるよねーこういう人。公金横領した人とか」と盛り上がっていた。

そんな忠兵衛に代わってよく働く手代、人形だけに無表情で仕事を黙々とこなしているが、妙閑のお小言の「忠兵衛は鼻紙を妙に無駄遣いする」というくだりだけひゅっと下がり眉になるのがとってもかわいい。妙閑が本気で鼻紙の無駄を言っているのか、鼻紙の用途を揶揄して言っているのかはどうとでも取れて、どちらを言っているのかはわからなかった。しかし他の人へのお小言を本人の不在時にかわりに聞かされるとは、勤め人は大変だ。

家に入りにくい忠兵衛がタルを下げて酒屋へ使いに出かけて行く下女(吉田清五郎)を引き止めるくだりは、店の前で下女と忠兵衛と二人してウンコ座りでしゃべっているのがコンビニの前のヤンキーみたい。普通の人形は正座や床几に座るイメージできれいな姿勢で座るけど、下女は着物の裾をまくってひざから下の足を見せ、はしたなくひざを広げて座っていた。この座り方がいかにも下女っぽくておもしろい。そして、忠兵衛のクソぶりがキラリと光るシーンであった。ご贔屓さんだかの内々の会で和生さんがお染を遣い、久松に見立てたお客さんの肩に手を置いてクドキをやってくれたという話を聞いたことがあるのだが、それで言えば、私もこの下女役をやりたいです。

忠兵衛が淡路町を出てつい新町へ向かってしまう場面は背景書割がスクロール。窓の明かりもちゃんと一緒に動く仕掛けで、風景が普通の街中から色里へうつりかわっていくさまを表現していた。文楽の人形は歩き方が特徴的で、実際の人間よりゆっくり歩く(=一瞬うしろに下がってから歩き出し、大きい足取りだがその動作ほど前には進まない)と思うのだけど、この忠兵衛の動きと背景効果があわさって、前方席のほうで視界いっぱい背景の状態で観ていると空間認識が歪んでちょっと酔う。

最後に現れるぶちいぬ。人形と比べるとむちゃでかくないか。スコティッシュ・ディアハウンド的な。しかし、忠兵衛はなぜあの犬に石を投げつけたのだろう? あの犬だけがもういちど正気の世界へ立ち返る最後のチャンスのようにも、またはその逆、忠兵衛の心の迷いが形をなしたもののようにも見えた。

淡路町の奥(竹本呂勢太夫鶴澤清治)はとてもよかった。清治さんは盛大な拍手を受けていた。

 

ところで私が観た回、為替金の問い合わせにきたお侍(吉田文哉)が亀屋へ上がって座るとき、左遣いの方が腰から刀を外すのに失敗して刀身が鞘からスポッと抜けてしまい、ちょっとあせっておられたのがかわいかった(失礼)。話の流れを変えてしまうようなミスはまずいが、刀を飾り程度に差している人形でもちゃんと抜ける刀を差してるんですね。ふたたび立ち上がって刀を差すとき、人形がうしろにふりかえって、文哉さんが刀を差す位置を人形の手で「ここ、ここ👇」とジェスチャーでフンフン示していたのもかわいかった。それとも、刀をなおしてる演技? そういえば、うまいことチケットが手に入ったので、別の日にももう一度第三部を観たのだが、その日は八右衛門が亀屋に上がるとき、忠兵衛&介錯の黒衣がのれんをまくった拍子に門口の柱にのれんが引っかかってしまった。介錯の人は気づかなかったようだが、忠兵衛がちょうどのれんの引っかかったほうの柱の影にいたため、玉男さんが人形の手でそっとのれんを直していた。自然な仕草で、かわいかった。

 

 

封印切の段。

女郎・梅川が茶屋・越後屋へやって来る。とんと音沙汰もなく身請けの残金の支払いもない忠兵衛が来ていないかと訪ねてきた梅川は、忠兵衛が手をこまねいているあいだにあの田舎客に身請けされてしまったらどうしようと悲観していた。仲間の女郎たち(桐竹紋秀、吉田玉勢)は場を盛り上げようと、竹本頼母の弟子だという禿(吉田和馬)に浄瑠璃を弾き語りさせる。しかし禿が語ったのは女郎がその悲しい身の上を嘆く内容だったので、梅川はさらに暗くなり、座敷はよりいっそう沈んでしまう。そこへ八右衛門がやって来た。八右衛門は女郎たちや女主人(吉田簑一郎)を呼び出し、忠兵衛が来ても取り合わないように言いつける。彼は金がないはずの忠兵衛がここへ来ればまた人様の金に手をつけるだろうことを心配していたのだ。八右衛門が小判に似せた鬢水入れの包みを見せると一座は驚き色めき立ち、八右衛門を敬遠して一座に交わらず二階から様子を見ていた梅川も身請金の正体に泣き伏した。ところがこれを忠兵衛が立ち聞きしていた。ふらふらと越後屋へ入ってきた忠兵衛は、いますぐ八右衛門へ金を返してやると言い出す。八右衛門はよその金に手をつけてはただではすまされないと止めるが、忠兵衛はついにふところにある小判の包みを切ってしまう。ばらばらと落ちた小判を拾い集め、八右衛門に投げつける忠兵衛。梅川は階段を駆け下り、忠兵衛にすがりついてその金を本来の届け先へ早く持っていってくれと懇願する。しかし忠兵衛はそれをかえりみず、これは養子に来た時の持参金だと言い張って、残った金で女郎や店の衆に祝儀を配り、梅川の身請けの残金を払ってしまった。八右衛門は納得しない様子で越後屋を後にし、女主人や女中たちは身請けの手続きに出かけてゆく。残されたのは忠兵衛と梅川のみ。忠兵衛は、さきほどの金はやはり堂島のお屋敷の急用金だと梅川に告白する。武家の金に手をつけては死罪は免れない。忠兵衛は生きられるだけ生きようと、梅川とともに大坂から逃げることを決意する。

梅川は透明感があって、下級女郎でも心は清楚なイメージが出ていた。着付けはわりと雑ないでたちだけど(わざとやっているそう)、動きが澄み切っていて綺麗だった。梅川は始終嘆いてばかりだが、演技に飽きを感じることはなかったので、客が気づかないレベルでいろいろな工夫をされているのだろうと思った。

忠兵衛は八右衛門が越後屋で皆に鬢水入れの一件を話して以降のシーンはかしらが変わり、鬢が触覚状に左右ひとすじ垂れ、髷の部分も固定が外れてフワフワ浮く姿になり、がらりと様子がかわる。封印切りをしてしまったあとの梅川のクドキのあいだ、この忠兵衛が首をすこしかしげて肩をいからせ気味にうつむいているのが感じが出ていてうまい。わかってる、わかってるよ、わかってるんだけど、やっちゃたんだよ! という雰囲気が出ている。おなじようにじーっと聞いている演技でも、このあとの道行のときとは印象がまったく違う。ただじーっとしているだけでも、こころのなかで何かを考えている感じが出せるんだなと思った。このへんはやっぱり人形遣いさんによって上手い下手がある。脇役だと、ときどき、上司のお説教を上の空で聞いてるサラリーマン状態のお人形がおりますな。

肝心の封印切りのシーン、ぱらぱらぱら、きらきらきらと小判が流れ落ちていくさまは見事。動きはそんなに派手なわけではないが、義太夫や人形の演技によって劇的だと感じるイマジネーションの世界。人形の動きを近くでよく見ていると、落とすより結構先に封を切り始めている(小判をずらしはじめている)のがわかった。ここは塊でぼとっと落とさないよう、バラバラと落とすのがコツだそうだ(初代吉田玉男文楽藝話』より)。

 

禿ちゃん=和馬さんがとても一生懸命三味線を弾いておられた。変化の多い曲調が難しく、まだ曲を覚えきっておられないのだろう、はじめは富助さんの三味線と右手のフリが合っておらずドキドキしたが、左遣いのお兄さん(だよね?)にリードされて途中からうまく弾けていた。富助さんが棹を「トントン♪」とされるのとばっちりタイミングで左手が「トントン♪」としてお客さんも湧いているのにあわせて、うまくノってきたみたい。ようがんばった、ようがんばった(泣)。うしろに下がっているお兄さん女郎たち(変な日本語)も禿ちゃんをじっと見守っていた。お客さんとおなじくらい、ドキドキしておられたことであろう。

仲間の二人の女郎のうち、玉勢さんが持ってる方の子(鳴渡瀬)がなんだか身長が高く見えた。身長170センチはありそう。よく見ていると、他の人より人形を持っている位置が高い。玉勢さんご自身の身長が高いのもあるが、清十郎さんやもうひとりの女郎役の紋秀さんより腕を曲げて高めの持ち方をされていた。これがわざとなのかはわからないが、着付けがコンパクトなのもあり、すらりとした姿に見えて、「すっとしたお姉さんタイプの子なのかな」という感じがした。鈴木則文の映画のような、端役の脇役でも個性の見える子を配しているみたいに思えて、印象深かった。

そうえいば、八右衛門のきせる入れは茶色の革にシルバーの飾りがついていて、コンビニの前にいるヤンキーが腰履き半ケツのズボンの尻ポケットにさしている財布みたいだった。

 

 

 

道行相合かご。ここは改作版上演とのこと。

大坂をのがれ、忠兵衛の故郷・新口村へ向かっていた二人は道の途中で籠から降り、人目の少ないあぜ道へ入る。空からはみぞれ・あられが舞っていた。梅川は京都にいる母を思い、忠兵衛もまた新口村の父へ梅川を紹介したいと思っていた。しかしそれも今世では叶わないだろう。忠兵衛と梅川は来世を思いながら歩みを進めるが、天候はますます悪化し、その風雨の音を追っ手の物音かと驚き怯える。忠兵衛と梅川はお互いを庇い合いながら道を急ぐのであった。

床がちゃんと揃っていた。特に團七さんを筆頭とした三味線はきれいだった。

冒頭、大きな籠をかついでトントントンとあらわれる駕籠かき(桐竹勘次郎、吉田玉彦)がかわいい。籠の中を覗いて「キャッ❤️」となったり、たばこを吸ってちょっと休憩したり。フリも揃っていてよかった。

ラストシーンでは雪がたくさん降っていた。人形や人形遣いにもフワフワと積もっていたが、空調の風に吹かれて客席にも振り込み、私の席まで舞ってきた。終演してから拾って見てみると、薄い半紙を四角く切ったものだった。

 

 

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『曾根崎心中』が火力MAXの世界マッドマックスだとすると、『冥途の飛脚』は劇的だが静かに深く透明感のある世界だった。こういったクリアな質感は、文楽ならではのものだと思う。

それと、漠然とした印象だが、今回第一部、第二部、第三部と観て、三味線って、弾く人によって結構音の印象が違うもんなのだなーと思った。弾き方や旋律そのものの違いもあるけど、音の響き方の印象が人によって違う感じがする。ヲクリのひとばち目の音だけで、場の雰囲気をいっきに変える人がいたり。三味線の音で、空気がピーンと張り詰めたり、逆にほわっとほころんだ感じが急にすることがある。いままで、文楽では三味線で情景を描写するというのがどういうことなのかよくわからなかったが、すこしヒントを得たような気もする。

 

 

冒頭に触れた内田吐夢監督の『浪花の恋の物語』は『冥途の飛脚』を題材にした劇映画だが、結構話を増補してるんだな。今回、原作の文楽を観たことで『浪花の恋の物語』のよさがよりわかった。「淡路町の段」までの前段をしっかり描き込むことにより、二人の立場上の、あるいは気持ちの上での閉塞感を存分に出している。そのへんはやはり劇映画ならではのうまさ。とくにうまいのが、封印切りがいかにヤバイかという話を事前に何度も繰り返している点。これがわかっていないと、封印切りの意味することがわからなくなってしまう。文楽と同じ通り、催促に来る侍が強い調子なのはもちろん、冒頭の人形浄瑠璃の芝居小屋のシーンでよその飛脚屋での封印切りの噂話を出して、その危うさをより印象づけている。そして、ストーリー全体の整理と見せ方に関しては、原作に触れてなお傑作だと感じた。原作のアンチョコになっていないのが本当に素晴らしいと思う。

『浪花の恋の物語』、ご覧になったことがない方は、DVDが出ているので是非ともご鑑賞を。近松門左衛門を主人公に、当時の人形浄瑠璃の芝居小屋の様子も描かれている(ただし人形は三人遣いにしているなど、意図的に時代考証を無視している箇所や史実改変あり。でも、文楽お詳しい方はすぐ意図に気付くと思います)。竹本座の座員を演じる文楽技芸員の方々は最も良いシーンで登場、当時の三和会、若き日の越路太夫師匠(つばめ太夫時代)、勝太郎師匠、紋十郎師匠らが出演され、ストーリーを盛り上げている。人形の撮り方がかなり特殊なことにご注目を!

浪花の恋の物語 [DVD]

浪花の恋の物語 [DVD]

 

 この映画のくわしいレビューは、過去記事2016年ベストムービー5(旧作だけど) - TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹に書いております。

 

 

ところでロビーでずっと流れている文楽研修生の募集ビデオ。

幕間にじっと見ていたら、昨夏頃見たものと内容が差し変わっていて、より詳しい内容になっていた。研修内容の詳細な様子が映ってるのだが、人形の部が結構面白かった。和生さんや清十郎さんがツメ人形のような簡素な女の人形で足の動かし方などをレクチャーしている映像があり、雑な顔のツメ人形なのに主役級にしか見えないすばらしい動きで、笑ってしまった。人形がどう見えるかって、やっぱり人形遣いの芸の力がいちばん大きいんですね。清十郎さんがおそらくアドリブであちこちに動いて、足を遣わせている研修生の子をついて来させるところ、スタタタタと動きが異様に速くて面白かった。ツメ人形(と清十郎さん)、ふだんそんな激しく動かんから。師匠格の方々ばかりでなく、玉翔さんや紋秀さんなど、お兄さんたちが横からサポートしてあげていた。どの研修でも研修生のみなさんとても一生懸命な表情で、またも親戚のオバチャンの気分になってしまい、大変やろけどがんばってな……待っとるで……(ホロリ)となった。