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TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽 2月東京公演『平家女護島』国立劇場小劇場

人形浄瑠璃 文楽

鬼界が島に鬼はなく、鬼は都にありけるぞや。

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平家女護島。話を自分の中で整理しよく理解するために、あらすじを追いながらメモを書いていこうと思う。

六波羅の段。

六波羅の清盛館では、囚われの身の俊寛の妻・あづまや(配役=吉田一輔)が気を沈ませていた。平相国清盛(吉田幸助)は上臈を踊らせたりと彼女の気を引こうとしていたが彼女は一向に良い顔をせず、鬼界が島へ流された夫を思い泣き伏すばかりだった。やがて清盛の甥・能登守教経(吉田玉佳)が童・菊王丸(吉田玉翔)を従えて現れ、清盛に背かず夫に操を立てよと促すと、あづまやは守り刀を引き抜き自害してしまう。教経は彼女の首を切り落とし「顔が気に入っていたのならこれでいいだろう」と清盛に差し出すが、さしもの入道もこれには顔を背け席を立つ。そこへあづまやが自害したことを知った俊寛の従者・有王丸(吉田玉勢)が侍たちを蹴散らしながらやってきて、菊王丸と力比べになる。二人の力は互角であったが、それを遮った教経の「鬼界が島の主人を忘れ犬死するか、戯け者」という言葉に情けを感じ、有王丸は去ってゆく。

 

ここは人間関係の整理と話についていくので精一杯。能登守教経が平清盛の甥って初めて理解したわ……頭がパーすぎて半年前に『平家物語』読んだばかりなのにまったくわかっとらんかった……。とは言え、上臈たち(吉田玉誉&吉田簑太郎)の踊り、有王丸の捕手の綱を使った殺陣や鮮やかに濃いグリーンの衣装もまばゆい菊王丸との戦いなど、直観的にわかる視覚的見どころも多くて楽しい。

 

 

鬼界が島の段。

平家討滅の陰謀が発覚し、鬼界が島(硫黄島)へ流刑となった俊寛僧都(吉田和生)がヨロヨロと現れ、自らの身の悲哀を語る。気がつくとすぐそばの大岩には平判官康頼(吉田玉志)がしがみついてる。そのさまがあまりにもすごすぎて、俊寛は自分がいつの間にか餓鬼道に堕ちていたのかと勘違いするほど。さらに藪の中からは丹波少将成経(吉田勘彌)が現れる。久方ぶりの再会を喜ぶ三人、成経は顔を赤らめながら夫婦の契りを結んだ島の海士・千鳥(吉田簑助)を二人へ紹介する。この四人が水盃でわいわいやっているところへ、都から赦免船がやってくる。赦免船には、ちゃんとしてるんだろうけど性格が悪いとしか思えない瀬尾太郎(吉田玉也)と、いい人だろうけどクソまじめな丹左衛門(桐竹勘壽)が乗っていて、二人は中宮御産御祈祷のための大赦の書状を持ってきたという。その書状には康頼と成経を赦免するとあるが、俊寛の名は載っていない。俊寛は悲嘆に暮れるが、丹左衛門がさらに小松内府重盛公の書状を持っており、そこには俊寛も赦免すると書かれていた(実際に書いて持たせてくれたのは教経)。三人は喜び船に乗ろうとするが、千鳥を連れて乗ろうとしたところで瀬尾に止められる。成経は千鳥は妻だと説明するが、同道は許されず、瀬尾は通行手形の通り三人だけを船底へ押し込もうとする。千鳥は「鬼界が島に鬼はなく、鬼は都にありけるぞや」と嘆き悲しみ、自害しようとする。瀬尾から妻がすでに亡いことを聞いた俊寛は、妻のいない都へ帰っても栓なきこと、自分のかわりに千鳥を乗せてくれるように頼む。しかし瀬尾はそれをも許さない。それならばと俊寛は瀬尾の差している刀を引き抜き、彼に切り掛かって殺してしまう。俊寛は、この咎により自身はふたたび罪人となり鬼界が島に残るので、かわりに千鳥を赦免船に乗せてほしい、千鳥を入れて三人なら通行手形の筋も通ると丹左衛門に懇願する。康頼と成経、そして千鳥を乗せた船は鬼界が島を離れ、どんどん沖へ出てゆく。自分が乗るのは浮世の船ではなく弘誓の船だと言った俊寛も、いざとなれば浮世の未練捨てがたく、転げ落ちながらも岸壁の大岩へ駆け上がり、遠くなってゆく船をいつまでもいつまでも見送っていた。

 

小幕ではなく、その奥の岩のセットのあいだから俊寛が自然木でつくった杖にすがるようによろめきながら現れると、ぱっと舞台の雰囲気が変わる。シンプルな美術セットだが、ここが都から遠く離れた異界であることがわかる。文章を書くうえの誇張ではなく、本当にここが打ち寄せる波の音と松をすりぬける風の音しか聞こえない、どこか遠くの寂しい島に見えるのが不思議。これはもちろん義太夫のよさもあってのこと。俊寛の人形は古びて変色したかのように顔がすこし黄色っぽくて、腕もほかの人形と違って筋張っていた。

しかし和生さんと玉志さんと勘彌さんが同時に出てきたときはどうしようかと思いましたねえ……。私、和生さんか玉志さんか勘彌さんが出てるときはそこをじ〜っと見てるんですが、きょうはどこを見てたらいいんでしょうね??? 席の関係上、こんなにパラパラ立ってられると誰か一人しか見られないんですけど??? それにしても父や兄のようだとか言いつつこの人ら一緒に生活してたわけじゃないんですね。能だと三人一緒に暮らしてたんじゃなかったっけ。三人はヨロヨロ演技がすごすぎてびびった。とくに冒頭で岩にへばりついている康頼、熱演すぎてやばい。死ぬ気でボルダリングしている人状態。三人の衣装は近くで見ると単なるツギハギでなく、細かい裂けやほつれがたくさん作ってあって、精巧さに驚いた。すだれ状のほつれが見事だった。

そして呼ばれてチョコチョコと現れる、黄緑の着物とそこから覗く赤の襟、腰蓑姿のヒロイン・千鳥。キャーカワイー! 能の『俊寛』には千鳥は登場しないので、初見、正直「誰?」と思った。いや、配役表で「蜑千鳥(鬼界が島) 吉田簑助」というのを見たので存在は知っていたが、「蜑」が読めなくて、蟹の仲間かと思ってましてねぇ……。まあ簑助様がカニ役のわけないとは思ってたんで(当たり前だ)、カニとり娘かなーと思ってましたが、「あま」でしたか……。

何がどうしてそう見えるのかよくわからないのだが、簑助さんの人形はとても可愛い。千鳥も近くで見ると、大きな動きをしているときにも静かにしているときにも、そのなかにかなり繊細で微細な仕草を加えているのがわかる。たぶんそこが可愛さにあらわれているのだろうが、こういう細かい演技は後列に座っているとなかなか見えないので、良い席でじっくり見られるのはありがたい。成経に寄り添っているときばかりか、船に乗る乗らないのところで俊寛の袖の影に隠れてきゅっとしがみついているさまなど、かなり可愛い。まるで「カワイイ」という概念が具現化した存在のようで、こういうふうに言っていいかはわからないが、生身の人間とは思えない。いや、人形は人形なんですけど、生身の人間でいうとどういう人?ということがぜんぜん思いつかない。成経が語る馴れ初めは義太夫らしく艶っぽい(というかオヤジエロギャグ)ものだが、それを忘れさせる清廉さと可憐さ。

赦免船はものすごく大きくて、驚いた。舳先しか舞台に見えていない。船の舳先に逆J字型のなにかがついているので何だろうと思っていたら、フサフサ(タッセル)らしい。パンフレットに載っている過去の舞台写真ではちゃんと本物の大きなタッセルがついていた。

ここからのヒネリが能と異なる部分で、一番おもしろいところ。能だと俊寛はマジで名前が落ちていて取り残されるオチで、助かると期待していたところからの絶望への転落、ぬか喜びがあまりに悲惨すぎておろそしい話なのだが、『平家女護島』だと自らすすんで鬼界が島に残る。『俊寛』もそうだけど、能とか説経節の中世以前に成立している話って人間味のないド悲惨なものが多いが、『平家女護島』では悲しみそのものはあるのだが、それを人間味の方向というべきか、違う方向にいかせていた。現世への未練は断ち切ったというけれど、それでもさすがに船が出ていくのを見るといてもたってもいられない俊寛の人間らしさ。クライマックスで俊寛が駆け上がる大きな岩が印象的。文楽の人形はちっちゃいので、このセットの大岩がものすごく大きな岸壁に見える。幕が閉まる直前はこの岩が半回転していた(廻り舞台を使っている?)。このラストシーン、黒衣ちゃんが波の模様の布を手すりにかけるのを失敗してて、下手側の子はそうそうに諦めたんだけど、上手側の子が最後まで一生懸命かけようとしていたのが印象的だった(そこ?)。最後に出てくる遠見の船は可愛かった。

そういえば、都からの赦免使ふたりが島に降り立ったとき、お付きのツメ人形がちいさな床几を出していて、ふたりがそこにチョコンと座ったので驚いた。もちろん足遣いの邪魔になるので床几はかたちだけですぐ下げられてしまったいたが……、いままで、文楽の人形は屋外でも「座っている」が、いったいどこに座っているのかと思っていたが、やっぱり床几に座っていたんですな。

  


舟路の道行より敷名の浦の段。

成経らを乗せた赦免船は鬼界が島を離れ、備後敷名の浦へたどり着く。そこでは有王丸が主・俊寛の帰りを今や遅しと待ち構えていたが、赦免船に俊寛の姿がないことを知り落胆する。これまでと自害しようとする有王丸だったが、千鳥にとどめられ、思い直す。そして、一行からの頼みで主人の養娘である彼女を預かることに。そうこうしているうちに清盛と後白河法皇を乗せた厳島神社ご参詣の船が敷名の浦を通りかかる。清盛は後白河法皇を「前からうざいと思ってたんだよね〜!」みたいな感じで船から海へ投げ落とすが、海に慣れた千鳥(吉田簑紫郎)が咄嗟に海へ飛び込み、法皇を海中から助け出す。ところがそれを見ていた清盛が千鳥に熊手を打ち込み、頭を踏み砕いて殺してしまう。千鳥は恨みの言葉を吐きながら死に、千鳥の瞋恚の業火に取り憑かれた清盛はその執念に恐れをなしてあわてて都へ帰ってゆく。

 

太夫さんがまったく声揃っていなかった。滅多に出ない段らしいのと、かつ私が行ったのは2日目なんで仕方ないのかもしれないが、特に人形が出ていない幕を張っているだけの状態のときに揃ってないと、浄瑠璃そのものより揃ってないこと自体に気がいく。それとも揃える気がないんですかね。というか、言ったら悪いけど、あきらかに揃える気ぃないときありませんかあの人たち。三味線もはじめのほう揃っていなかったが、だんだんなんとなく揃ってきていた。がんばって!と思った。あの人ら絶対全員が全員「おれが一番イケてる」と思っているだろうし、個性とか芸の方向性が結構違うから仕方ない部分はあるんだろうな〜、とは思う。

それはともかく千鳥が芝居ながら着物姿のまま海へ飛び込んだのは驚き。千鳥は海女なので着物の裾を普通の女の人形より上げていて、足が吊ってあるのがわかった。千鳥はわりとフワフワと泳いでいた。水中で着物が揺れているイメージなのかな。あと、千鳥は「蜑訛り(薩摩訛り)」という設定らしいが、どこがどう訛っているのかはよくわからなかった。前段の簑助様が実は方言萌えキャラだったということだけは理解した。

簑紫郎さんの千鳥。簑紫郎さんのインスタ、人形の写真を見たくてフォローしているのだが(簑助様の人形の写真をアップしてくれることがある)、絵文字たっぷりや自撮りはまだいいんだけど、時々虫のクソどアップ🐜やみんなで温泉に入りました♨️的な写真が混入してきてびびる。勘十郎様の暴走を止められるのは簑紫郎さんだけと思っていたが、これではもう誰も止められないと思った。

 

 

鬼界が島に鬼はなく〜というフレーズは聞いたことがあったけど、この作品に出てくるセリフだったのか。

ところでこの『平家女護島』、これだけでは話がまったくわからないので、全段だとどういう話になるのか我が愛読書・先代吉田玉男文楽藝話』で調べたところ、「常盤御前が牛若丸に女装させて通行人を色仕掛けで引き込み源氏再興を企てるという設定に、平宗清父娘の悲劇が絡む」と書いてあって、余計に意味がわからなくなった。俊寛の話はそこにどう関係あるんでしょうか……。

2月は東京でもチケットが取りやすいということで、『平家女護島』は最終週も取った。2回目は初回ではよく理解できていなかった部分をしっかり観て聴いて、新しく気づいたことや改めて理解できたことなどは、ここに書き足したい。

 

2017.2.27追記、鑑賞2回目感想。

結論としては2回観てよかった。1回目は人形目当てに絞った前列席を取ったので、俊寛たちがヤイノヤイノやっている輪に自分も混じっているかのような錯覚を覚えたが、2回目は浄瑠璃をゆっくり聴こうと、床の直線上にくるまんなかくらいの席にした。引いて観ることになるので客観性が生まれて物語全体を把握しやすく、また、人形の大きな動きも見やすく、これはこれでよかった。

まず「六波羅の段」、これは初見時まじで意味わからなかったので2回目観て本当によかった。初回時は入場時にロビーにいたくろごちゃんに夢中になり、開演前にあらすじを読めなかったので……。この段は教経が何者なのかわからずに観るものではないと思った。

「鬼界が島の段」、今回は康頼と成経をじっと見てみた。冒頭、『八甲田山』でこんなシーンあったよね〜って感じの這いずり回りがやばすぎてびびる康頼だが、よく観察していたら、その後も人一倍盛り上がっていた。成経が千鳥との馴れ初めを語るくだり、俊寛はときどき「ほほー」みたいに手をあげたりするのだが、康頼はものすごい前傾姿勢で成経を見つめ、興味津々に聴いている。いや、人形ってもともとやや前傾してますけど、「まじで!?」って感じで真顔で(人形だから当たり前)聴いているのがなんかおもしろくて……。人形の目線は成経にいっているのだが、玉志さん(康頼役)はぴくりとも動かず、勘彌さん(成経役)の背後をじ〜っと見ていらっしゃった。何をご覧になっていたのだろう。康頼は赦免状に俊寛の名前がないとわかったときも、「な、なんですとー!?」と言わんばかりに結構びっくりしてぷるぷるしていた。貴公子風に見えて、実はキモオタなのかもしれない。康頼はドラマに関係のない役だが、その分、わりと盛り上がっているのだなと思った。それにつけてもあの人ら、久々に再会したしょっぱなから恋バナはじまるあたり、アラサー女子会のようでのんきではある。成経はあまりウロウロはせずちょっと品があって、あんな辺鄙な島で何年も暮らしていても貴公子っぷりが抜けていない感じで、姫騎士な感じで良い(勘彌さん自身のイメージによるもの?)。

「舟路の道行より敷名の浦の段」。身もふたもないことを言うが、千鳥はやっぱり鬼界が島のほうがかわいい。鬼界が島の千鳥は、棒を振り回しても、石を投げても、落ちるがなってくらい船から身を乗り出してジタバタしても、すっごくかわいい。ぶっちゃけいわゆるブリッコなのだが、現世のものとは思えないほどに可憐だからすべて許される。体が小さく、華奢に見えるのが大きい。守ってあげたい感がある。単体での演技とあわせてほかの人形とのからみがうまいんだろう。敷名の浦では泳ぐという一番大きいアクションをしないといけないので、そういった意味での可憐さは出しにくいのかもしれない。

浄瑠璃……、太夫の声、三味線の音は、やはり床の直線上にくる席のほうが聞こえよい。字幕を見ながらゆったりと聴くことができるし、床の様子も見られるし。しかし舟路の道行のとこ、揃っている日といない日があるのだろうが、もうちょっと頑張って揃えるようにしてくれよと思った。個々の方が頑張っておられるのはわかるし、あんまりネガティブなことは書きたくないが、正直あれでは舟路の道行〜は上演しないほうが鬼界が島の余韻を楽しめると思ってしまう。咲甫さんは今回3部とも出演されて、本当にがんばっておられた。

 

 

 

今回は昼食を食堂で食べた。開演前に1Fの階段上り口で予約。国立劇場のウェブサイトに載っておらず要問合になっているあぜくら会の食堂優待だが、受付の方に質問したところ、2,000円以上のメニューに適用されるようだ。ケチって一番安いお弁当にしたので優待を受けられず、適用時の割引率は不明。

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一番安い! 梅弁当(1,600円)! こまごましたおかずが一口分ずつ入っている。歌舞伎公演とかぶっていなかったせいか食堂内は人が少なく、広めのテーブルで食べられた。少なくとも味も接客も文楽劇場よりはいい。分量は多くないけど、休憩時間の30分で食べきるにはけっこうギリギリだった。これよりランクが上のお弁当は私は分量的に食べきれないかな。


 
 
• 『平家女護島(へいけにょごのしま)』六波羅の段、鬼界が島の段、舟路の道行より敷名の浦の段
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2016/21039.html

国立劇場近くのおすすめランチ店 8軒 〜半蔵門観劇お食事頂上作戦篇〜

2月の文楽東京公演は3部制ということで、ご観劇前後にお食事を劇場外で召し上がる方も多いと思います。しかし国立劇場近辺に土地勘のない方は、半蔵門では食べるところがないと思われる方も多いのでは。

おっしゃる通りその通り。半蔵門には皇居と最高裁国立劇場しかありません。そこで、半蔵門界隈のランチに一家言ある(?)私が、国立劇場近く、とくに半蔵門駅から国立劇場までの間にあるおすすめのランチ店8軒を半蔵門駅から/国立劇場までの所要時間とあわせてご紹介します。

 

 

┃ 1. やくしま

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名前通り、夜は屋久島直送品を使った料理を提供する和食店で、ランチタイムは和定食を出している。

落ち着いた店内で、丁寧に調理され盛り付けられた健康的な料理をゆっくり味わえるのがこの店の良いところ。ただのヘルシーではなく、品質のよい健康的な定食なので、きちんと食べたい男性客はもちろん、体に良い食事をとりたい女性客も多い。板前さんがたくさんおられるので出てくるのも早く、店員さんの接客も気持ち良い。

メニューも一番人気の日替わりをはじめ、焼き魚や煮魚、鳥唐揚げ、肉じゃが、刺身などのベーシックな定食から、牛アボカド丼、屋久島トビウオ丼などのちょっと変わったものまで様々。定食の場合はご飯、味噌汁、小鉢、漬物等の箸休め2種がつく。また、大抵メインおかずに生野菜サラダが一緒に盛られているので、野菜を無理なくたっぷり摂取できるのも良い。ちなみに日替わり定食に具体的に何が出るかというと、キムチ鍋+プチコロッケなど、メインにちょっとしたおかずがつくことが多く、結構がっつり食べられる。

この店、おいしすぎてランチタイムは近隣勤務の会社員が集結するので、12時台〜1時過ぎまでは結構混んでおり、1時半以降が穴場。広めのグループ席、御簾で仕切った個室風席あり。カウンター席があるので、おひとりでも気軽に入店可。国立劇場行き帰りらしき方もよくお見かけする信頼できる店。 

 

 

┃ 2. 巨牛荘

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焼肉系韓国料理の有名店。ランチではプルコギ、クッパ、ビビンバのほかステーキなどを出している。

おすすめは旨味たっぷりスープのクッパ。ダシの風味を大切にした締まりがありつつも優しめの味で食べやすく、スープもすべていただける。調味料付きなので、辛いのが好きな人は唐辛子粉を入れて味を調節可能。主食は「ごはん」と「うどん」から選べる。

この店、以前は千鳥ヶ淵付近にあり、かなりの床面積を持つ人気店だったが、最近半蔵門駅国立劇場出口目の前へ移転してきてカジュアルダウン、店内が狭くなった。人気のわりに席数が少ないので、さっと食べてさっと劇場へ向かいたいときに良い。

 

 

┃ 3. ガンジス

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衆議院御用達」と謎の張り紙がしてある、黄色い外壁塗装もまばゆいインドカレー店。

ここのカレーはスパイシーでコクある風味が特徴。私が好きなのは辛口チキンと日替わり。日替わりは独創的で「かぼちゃとチーズのキーマカレー」など、良い意味でインドカレーにとらわれないバラエティ感がある。春季なら春野菜を使ってみたりと、ちょっと創作料理風。それと、インドカレーだと調理が素朴なところも多いが、ここはどれも丁寧。前述のかぼちゃとチーズのキーマカレーも、かぼちゃが小粒に切ってあるのに煮崩れていなかったり。

この店で一番勧めたいのは、ランチに無料でついてくるドリンクで「マンゴーラッシー」を選ぶこと。これがコックリ濃厚で旨い! なんでもヨーグルト成分は明治の機能性ヨーグルト・プロビオを使っているらしい。ヨーグルトとマンゴーの配合も絶妙で、デザート代わりにもなるほど。これだけをテイクアウトで売ってほしいくらいだ。

写真はレディースランチで、好きなカレー2種、ナン、ライス、タンドリーチキン、サラダ、ドリンク、マンゴープリンがついて999円。ナンとライスはもちろんおかわり自由。女子はみんなこれ注文すべし! 男子が注文できるかは店員さんに聞いてみて!

※ちなみに今回記事を書くにあたり「衆議院御用達」の意味を調べてみたところ、なんでも国会議事堂(衆議院)内に系列店が喫茶店形式で入っていて、そこでココと同じカレーを出しているようです。

 

 

┃ 4. 麹町カフェ

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半蔵門駅国立劇場側出口の目の前にある大型カフェ。

カフェと言いつつ食事メニューが充実した店で、オーガニックフードを取り扱う。メニューは軽食をオシャレっぽく調理したいわゆる「カフェめし」中心だが、あなどるなかれ、メインからちょっとした付け合わせの野菜に至るまでひとつひとつの料理が丁寧に作られており、しかもボリュームたっぷりで満足感は◎。ランチメニューはあまりに遅い時間だと品切れすることがあるが、その場合は代替メニューに差し替えてくれるのが嬉しい。写真はメインのキッシュがなくなったので、タンドリーチキンのサンドイッチに差し替えてもらった日。むしろこっちのほうがええやんけ。

ランチメニューにつく付け合わせのひとくちパンはおかわり自由のほか、手作りのプチデザート付き。ランチドリンクは別途オーダーだが(200円くらいだった気が)、ドリンクも頼んですこしゆっくりするのがおすすめ。

店内はかなり床面積が広く、食事にお茶にゆったりでき、広めのグループ席(ソファ)もある。にぎやかな店なので、静かに落ち着いた会話をとはいかないが、キャーキャーやりたいときはあえてここを選びたい、半蔵門には少ない若干チャラついた(?)店。 

 

 

┃ 5. おかめ

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国立劇場表側(内堀通り沿い側)にある甘味屋。

おはぎ、あんみつ、かき氷などの甘味がメインだが、実はうどん、お雑煮、お茶漬けなどの食事メニューが充実。この地味さ、半蔵門には他になくて貴重な存在。あんまり味の濃いものとかがっつりしたものはちょっと、というときはここでさらっと。

写真の「甘辛弁当」はおでん、茶めしおにぎりをメインに、おはぎがついた一品。おでんと茶めしおにぎりの落ち着いた味に癒される。私はとろけるはんぺんが好み。おはぎはこしあん・きなこ等のオーソドックスなもののほか季節限定品も選べて2月現在は桜味を展開中(写真中央のピンク色の物体)。この桜おはぎ、要するに桜餅(東京で言う道明寺)をおはぎ化したものだが、見た目に反して甘くなく、食べやすい。そしてサイズが妙に大きく、普通のおはぎ2個分はありそう。おにぎりよりでかいぜ。おでんとおにぎりだけならかなり量少なめだけど、このおはぎで程よく腹八分目に。

端正な雰囲気の店内はテーブル同士の間隔がかなり広めの余裕あるレイアウト。テーブル自体も広いので、静かにゆったり食事や甘味を味わえる。一応書いておくと、味レベル的には劇場内のレストランに近いかな。めちゃウマの名店とかではなく、雰囲気を楽しむ店。

※食事メニューはWEBサイトに掲載なし。一例としては、おぞうに770円、豚うどん830円、あべ川もち760円、さけ茶漬け810円、おにぎり吸物付810円、茶めしおでん910円など。季節メニューあり。ご参考まで。

 

 

┃ 6. プティフ・ア・ラ・カンパーニュ

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半蔵門駅からは国立劇場と逆の出口(番町方面)になるので国立劇場との行き来が少々遠いのだが、それでも是非訪問してもらいたい半蔵門最高の名店。

欧風カレーの専門店で、種類はビーフ・ポーク・チキン・シーフードなど多様。私のおすすめはポーク。カレーソースとは別に揚げ焼きされたポークにワインのような風味がかすかについていて、いかにも高級欧風カレーというお味(貧乏人の感性)。柔らかなチキンも王道のおいしさ。芳醇で深いコクのあるカレーソースは本当にすばらしく、欧風カレーらしいスパイシーさと濃厚さに加え、フルーツのような甘味がほのかに香るのがこの店の特徴。辛口で注文した場合でも、辛みが浮かずよりコクを増すようなまろやかさがある。写真のように小さなジャガイモ2個付き。

個人的にはこの店、欧風カレー店の最高峰で(料理自体のほか、接客・店内雰囲気を加算すると神保町ボンディより上)、別に半蔵門に用事がなくともこのカレーを食べるために半蔵門へ行きたいくらい好き。

終日通し営業なので第二部終演後、第三部開演前・終演後でも食事を楽しめて便利。実際、しばしば国立劇場歌舞伎や国立演芸場終わりのお客さんの姿を見かける。ややアンダーな照明の隠れ家風の店内で落ち着くので、観劇後に少しゆっくり話ができるのが良い。

 

 

┃ 7. ドーカン

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近隣の会員制洋菓子店・村上開新堂の系列店だが、ここは終日予約等不要・だれでも利用可の一般向けのカジュアル店舗。

外観からはイートイン付きの老舗洋菓子店に見えるが、本業は食事メニューだそうで、ランチ・ディナータイムには洋食メニューを提供。その洋食がいかにも昔ながらの味で楽しい。豚ブロックをケチャップ風味に煮込んでグリーンピースを添えたポーク煮ライスは懐かしい美味しさ。豚肉はスプーンで崩れるほどやわらかく、やや強いトマトの酸味が効いている。これに生姜味にクタクタに煮込んだ野菜の和風スープ(一例。スープは日替わり)がついてきて、まるで昭和の金持ちの奥様が料理教室で習ってきたメニューをホームパーティで振舞っているようなお献立。もしくは昭和の給食。食後のコーヒーについてくる角砂糖が個装の輸入品だったり、プチデザートのガトーショコラがよくあるしっとりタイプではなく、焼菓子のようにカリカリだったりするセンスもいかす。写真は具だくさんスープセットで、メイン料理にたっぷりのスープ、飲み物、プチデザート付きで1,350円。

高級店の系列店のせいか、店員さんの接客が値段や店の雰囲気を超える丁寧さなのも不思議時空を増幅する。昭和の古き良きお店感を満喫したいときに訪問したいお店。

 

 

┃ 8. 朝霞

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‪中華ならここ。最近の中華料理らしいカジュアルな店。

麻婆豆腐や鶏肉のカシューナッツ炒め、高菜炒飯など、様々なメニューが日替わりで楽しめる普通の定食もおいしいが、辛いもの好きの方はぜひ刀削麺を。モチモチ麺と粗挽肉にからむ山椒が爽やかな麻辣、風味豊かなスープの坦々ともにパンチがあって大満足。味はしっかりしているが、辛口すぎず食べやすい。オプションとして、ミニサイズ刀削麺+日替わり定食のミニサイズ丼やチャーハンミニサイズとのセットもあり。この店、全体的にものすごく量が多いので、セットで頼むとミニサイズとか言ってもすさまじいボリュームとなる。観劇前は鬼門かも(上演中スヤる)。また、すべてのメニューに杏仁豆腐付き。

店内こぎれいで広いが、ザックリしたおおらかな店なので、さっともゆっくりも可。刀削麺をオーダーすると紙エプロンをもらえるので、お召し物が気になるけどがっつり食いたい乙女も安心。

民俗芸能公演 淡路人形芝居『賤ヶ嶽七本槍』淡路人形座 国立劇場小劇場

国立劇場主催の民俗芸能公演。民俗芸能の人形芝居って観てみたいけど、なかなか遠方までは行けぬと思っていたら、国立劇場の民俗芸能公演に入っていたのでチケットを取った。このような上演が一度しかない公演も、あぜくら会なら確実にチケットを確保できる。入ってよかった、あぜくら会!(とは言っても発売日の昼過ぎにその日が発売日だったことを思い出して取ったので、席はあぜくら会とは思えないヤバイ後列でした)

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淡路人形芝居は文楽と同じく人形浄瑠璃で、今回上演の『賤ヶ嶽七本槍(しずがたけしちほんやり)』は上方での伝承が途絶え、現在は淡路にのみ伝わる演目だそうだ。小田春永・武智光秀の没後を舞台とした、柴田勝家と真柴久吉の小田家の家督相続を巡る争いの話。

 

「清光尼庵室の段」。小田春永の長男に長女・蘭の方を輿入れさせ、久吉方の家督相続の候補者である嫡孫・三法師をもうけさせていた足利政左衛門(前田利家のこと)の一家を描く部分。

幕が開くと黒衣の口上から始まり、舞台にならぶ人形は黒衣の三人遣い、黒の着付に肩衣をつけた太夫・三味線が出語り床に座っている(床は回さない)。しかし、太夫・三味線が女性だったり、人形のかしらが大きくて、頭身がちょっとマンガチックだったりと、文楽とは所々が異なっている。人形は構え方が若干違うらしくて、それと関係があるのかはわからないが、ツメ人形が若干前傾姿勢。文楽公演と雰囲気が異なり、ちょっと緊張(私が)。

政左衛門は久吉から、蘭の方の養父が小田家転覆を図ったため、三法師の跡目相続の障害とならぬよう蘭の方の首を差し出せと迫られていた。しかし実は蘭の方は政左衛門の実子ではなく、義理ある人の子であった。一方、政左衛門の次女・深雪は大徳寺焼香の折に出会った勝家の子息・勝久と恋に落ちるが、叶わぬ恋を悲観して庵にこもり清光尼と名乗っていた。この清光尼の庵室に、父・政左衛門が訪ねてくる。政左衛門は彼方で始まった真柴と柴田の合戦を見物すると言い、深雪の庵に遠眼鏡(望遠鏡)を据えさせた。そして髢*1を深雪に渡し、遊びはもう止して父の役に立つべく婿を取れ、還俗せよと促すが、深雪はそれを拒否する。

そうこうしているうちに久吉来訪の知らせが届き、政左衛門は三法師を伴った久吉と面会する。久吉は政左衛門に改めて蘭の方の首を催促しに訪れたのだった。政左衛門はしばらくここで待っていて欲しいと久吉に告げる。

政左衛門が庵室から帰った後、姫のお付きの三人の腰元たちは押し合いへし合い、遠眼鏡ではるか遠くのイケメンを見たり、大太刀を帯びた武将を見て斬られた〜いなどとキャーキャー騒いでいるが、そのうち合戦をしている武者の中に姫の想い人・勝久を見つける。腰元らに遠眼鏡の前へ引き出された黒袈裟姿の姫が覗いてみると、それはまさしく勝久であった。姫は捨てていたはずの俗世を思い切れなくなり、赤い振袖姿に着替え、簪をさして還俗してしまう。そこに政左衛門がふたたび現れ、姫に蘭の方の身代わりに死んでくれと頼むが、姫は「勝久を思い切れない、ここでは死ねない」と拒否する。政左衛門は、勝久はまもなく討死する運命、所詮この世で添えぬなら冥途で添えよと姫に自害を迫る。そのとき遠方から法螺貝の音が聞こえ、姫は遠眼鏡を覗き込む。すると遠眼鏡の先には数多の軍卒たちと戦う勝久の姿があった。やがて、深雪のもとに勝久討死の報が届く。悲しみに暮れる深雪は、姉の身代わりに死ぬことを決意し、父・政左衛門に首を討たれる。勝久は深雪の首を白布で包み、奥の間で待っていた久吉に渡す。政左衛門は久吉が偽の三法師を立てて奸計を巡らせているのではないかと疑うが、久吉は腕に抱いていた偽の三法師––正体は久吉の実子・捨千代––の首を討つことで誠意を示す。久吉の真意を知った政左衛門は、隠匿していた本物の三法師を黒袈裟姿に扮した蘭の方とともに久吉に引き渡した。

深雪姫が法螺貝の音を聞いて遠眼鏡を覗く場面では、その視線の先にあたる、まさに遠眼鏡の向いている客席後方扉からツメ人形軍団、続けてきらびやかな若武者姿の勝久の人形が現れ、客席通路で合戦を繰り広げる演出にびっくり!  だから遠眼鏡が客席通路に向けて設置されていたのか。かなりの後方席だったが、この演出のおかげで人形を間近に見ることができた。ちなみに法螺貝の音は本当に客席後方で演奏。いきなり背後でブオ〜〜っと大きな音が鳴るので驚く。下手の御簾内にいたお囃子の人がいつのまにか客席後方に移動してきていて、後方ののれんの奥(?)で演奏していた。

ところで姫が赤い振り袖に着替えるところで気づいたのだが、なんか、姫役の人形のフォルムが見慣れたのと違う。特に人形が座っているとき。なんだか全体がシュッとしている。よく見ると振袖が広がらずにそのまままっすぐ下に落ちていて、人間が普通に着たときのような感じ。文楽のように全体フォルムが △ にならず、凸 の形になっていた。

また、この段は太夫・三味線が3組交代したのだが、最後の切の太夫のみ男性で、他は女性だった。人形芝居には音楽部分が義太夫節でないものもあるけど、淡路は義太夫節。女性の義太夫は人形芝居では(あるいは生では)初めて聴いたが、思っていたほど違和感はなかった。後ろから見ていると、床をガン見している人は結構いたが……。切の男性の太夫さんは、(男性だから比較しやすいんですけど)かなり文楽に近い、だが文楽よりもうちょっと清廉な感じだった。でもこれはその太夫さんが文楽時空よりお若いからかも。文楽でもお若い太夫さんは清楚な感じなので…… 。この方だけ、割と明確な語り分けをされていた。

あとは久吉と政左衛門が面会する場面で、庭の池からぴょんぴょん現れるかえるちゃんが可愛かった。

 

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「真柴久吉帰国行列の段」。ここはまさに娯楽を見せる段。ツメ人形が舞台上手から下手へひたすら行列していくだけ。しかもちゃんと大名行列みたいな役割分担があるので、次々違う格好の人形が現れる。ときには2人の毛槍持ちが毛槍を空中に投げて交換したり、いうことをきかない軍馬がいて手綱を持っている人形がぐいぐい引っ張ったり。無限にわき出てくるツメ人形にめっちゃ笑った。

そういえば、文楽では軍馬はブヒヒンって感じのリアルな馬だが、淡路ではわりとアバウトな顔の馬というか、片山まさゆきが描く馬が実写化したようなおそろしくシンプルなお顔の馬だった。

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まじこんな感じ。しかもみんなちゃんとたてがみの形が違っていて、角刈りのヤツとか前髪流してるヤツとかいて、笑いそうになった。後ろと隣の席の人は爆笑していた。

 

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「七勇士勢揃いの段」。

賤ヶ嶽の戦いで功名を立てた久吉の7人の勇士(武将)たちが槍をたずさえ馬に乗って久吉のものへ集ってくる。そのうち、加藤正清は指物(背中にさす旗)を忘れたと言い出し、そのへんに生えていた笹ではいけないかと久吉に尋ねるも、生の青々とした笹は古来よりの習わしで許されない。そうこうしているうちに、柴田方の武将・山路将監と佐久間玄蕃が現れた。清正は次々と軍卒たちをなぎ倒し、その首を笹に七夕飾り状にくくりつけて指物とした。さらに山路将監を倒した正清に、久吉はついに生笹の指物を許す。正清は玄蕃をも討ち果たし、久吉らは勝鬨をあげて本陣へ引き上げてゆく。

冒頭、 久吉とその七人の部下たちが馬に乗って舞台に居並ぶ場面が圧巻。人形遣いが人形1体につき馬含め4人×8体で32人なので、文楽でもなかなかできなさそう。

加藤正清が軍卒たちを斬り捨てていく場面は、軍卒のツメ人形一人一人の殺し方が違っていて楽しませてくれる(というと物騒だが)。次々と遊郭の使用人や遊女、客たちを斬り殺してゆく『伊勢音頭恋寝刃』でもそうだったけど、いちいち芸が細かい! 首が飛んだり、かしらが文楽でいうところの梨割で頭を縦まっぷたつにされてもおメメをパチクリさせていたり、さいごの一人はぴゅーっと逃げ出したり。山路将監と戦う場面も遠見の人形(てのひらサイズのかなりプチなやつ)が大岩の上でキャイキャイやったりなどしてかわいらしく、楽しい。二人の動きは文楽でいうところの猿回しの猿だった。

加藤正清の足の方、なんだかきわだってうまかった。他の人形は足取りが少々おぼつかないのがいたり、立ち止まったときの足の形がうまく決まっていなかったりしたのだが、加藤正清だけはいかにも立役っぽい、しっかりした足取りでノシノシ歩いていた。加藤正清のみ派手な殺陣の場面があるので、ベテランの方がついていたのかしら。

 

 

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全体的に、民俗芸能と聞いてイメージする素朴な人形芝居ではなく、かなり洗練されていると感じた。さすが常設劇場のある一座。今回は人形に人数のいる演目なので、人形遣いが足りなくて地元の人などに出てもらったりしているようだ。

人形のかしらの大きさはしばらくすると気にならなくなった。印象としてはむかしNHKでやっていた人形劇に頭身が近いので、ある意味なじみがあるからかも。でも実際やっぱりデカイ。顔の大きさは全員武将なみ。席がセンターブロックうしろから3列目で、文楽公演なら人形の顔はまず見えない後列だったのだが、そこからでも顔がある程度見えたので……。あんだけかしらがデカイと、人形、メチャ重そう……。逆にツメ人形は文楽よりこぶりな印象だった。

しかし、かしらの大きさよりも、人形の動きが文楽と異なるのが一番目を引く。淡路は人形の振りが大きいと聞いていたが、むしろ文楽のほうが大きく感じた。かしらが大きいので体の振りがこぶりに見えるからか、立役に関しては文楽のほうが人形が大きいのか(これはたぶん本当にそう)、操演技術の系統の違いなのか。全体的に文楽ほどピクサージブリのような予備動作を伴うアニメーション的な大振りがなく、わりと人間の普通の動きに近い。あんまり比べても意味がないのだけど、立役でいうと、文楽では武将のような大型の人形は立ち上がるとき、見得を切るとき、出のときなどに伸びあがるような大きさを強調する動作をするが、そういった誇張演技をしない。女の人形も、文楽だと普段はチョコマカしていてもクドキや単独演技だと大きな動きをするが、こちらだと全体的におとなしめ。うしろぶりにあたる演技もあったが、それが浮いて見えるくらい。ツメ人形はわりと戯画的にワイワイしていたが、三人遣いの人形はみな楚々とした印象で、あまり華美な方向にいかない芸のように思われた。ただ、今回の演目は派手な演目ではないので、演技の振り幅はものにもよるのかもしれない。

また、逆説的にだが、人形の見え方にはやはり太夫・三味線が大きく影響するのだなということがよくわかった。率直に言うと、ご出演の太夫・三味線の方の技量に結構ばらつきがあって、床によって人形が大きく見えたりそうでなかったりするのだ。そういう意味ではある意味素朴とも言える。三味線については同じ劇場で同じようなフレーズを演奏しても、ここまで聞こえ方に幅が出るのだなと思わされる部分もあった。

客はある程度文楽から流れてきているだろうなと思っていたが、客層は若干異なるようで、文楽公演より平均年齢が結構高い印象。ロビーや客席の会話を聞いていると、三人遣いに驚いている人がいたりして、文楽を見たことがない人も多いようだった。

休憩時間には淡路人形座のオリジナルお土産売店と、民俗芸能資料の書籍のミニ売店がロビーに設置されていた。私は淡路人形座のほうでレトロなパッケージの絵葉書セットを購入。入っている絵葉書の写真を見ると、『絵本太功記』『本朝廿四孝』『壺坂観音霊験記』『伊達娘恋緋鹿子』など文楽にもある外題が入っていた。でもやっぱり文楽と同じではなく、人形のフォルムなどが違うので、なんだか不思議な印象。とくに『本朝廿四孝』奥庭狐火の段のきつねがアルパカみたいにすんごいモフってるのが可愛かった。

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  • 賤ヶ嶽七本槍(しずがたけしちほんやり):清光尼庵室の段(せいこうにあんじつのだん)/真柴久吉帰国行列の段(ましばひさよしきこくぎょうれつのだん)/七勇士勢揃の段(しちゆうしせいぞろいのだん)

*1:かもじ。髪を結う際に用いる付け毛

文楽 1月大阪初春公演『染模様妹背門松』国立文楽劇場

人形浄瑠璃 文楽

続けて第二部を鑑賞。

一部と二部の入れ替え時間に1階ロビーに降りたら、いつのまにか鏡餅が片付けられていた。鏡餅は15日(小正月)の日没のタイミングで仕舞うと初めて知った。

 

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染模様妹背門松。本作に関しては、全体の構成や趣向に驚いた。

油店の段。大坂の大店、油屋の娘・お染(配役・吉田簑二郎)は山本屋清兵衛(吉田玉志)への嫁入りが決まっていたが、実は丁稚の久松(吉田勘彌)と恋仲だった。お染の兄・多三郎(吉田簑紫郎)は芸妓・おいと(桐竹紋秀)を請け出すために大阪屋源右衛門(吉田幸助)から借りた藤原定家の色紙を質入れして金を作ったものの、期限がきても色紙を返さなかったので、源右衛門が証文通りおいとを渡せと油屋へ乗り込んでくる。実はこれには仕掛けがあって、油屋の番頭・善六(桐竹勘十郎)はお染に横恋慕しており、お染をものにするためにまず多三郎を始末すべく影で源右衛門と組んで彼を陥れようとしていたのだった。

と、ここまで説明しておいてなんですが、ここの一番の見どころは善六と源右衛門の、話の本筋と関係ないボケボケの掛け合い。憎めないウザカワキャラの善六と、源右衛門の底抜けのアホっぷりがいとしい。この部分のご担当はやはり(?)、咲太夫さん。二人がホウキ三味線を手に歌う部分では現代流行を取り入れたアレンジを披露されていた。床本を確認したら意外と元の詞章にマッチしていて驚きの「PPAP」と唐突な「君の名は」はわかったのだが、「私、失敗しないので」は客席ウケていたわりに自分はまったく元ネタがわからず、終演してから調べた。……テレビ持ってないからわからなかったです……。あとは広島と阪神ネタ。登場人物が相当わんさといるのに誰が喋っているのかわかる語り分けも見事。咲さん『一谷嫩軍記』の「宝引の段」のわんさといる百姓たちがワヤワヤする部分も見事に語り分けられていたけど、今回の語り分けも面白かった。そして、果てしなく滑り続ける善六と源右衛門の人形の仕草もたまらなくかわいい。

登場人物が全体的に派手な衣装で驚いた。お染は鮮やかな濃紫地にシアン・赤の細紐と花手毬の柄の振袖に蛍光オレンジの帯。かなりサイケデリック。久松も淡い蛍光オレンジの着物(噺家にしか見えない)。兄多三郎の着物は蛍光オレンジと黒の細いストライプ。なんでみんな蛍光オレンジなんだ???

 

 

生玉の段。ここが初春公演で一番のびっくり。

久松が生玉神社の境内で善六を殺した上で自殺し、お染もあとを追うという筋だが、実はこの段は夢オチ。すべての顛末は二人の見ていた夢ということはパンフレットにも書いてあるからそれ自体は驚かないのだが、まじで仰天したのが、最後のシーンで「夢」と大きく書かれた吊り看板がスルスル下がってきたこと。

他のお客さんは一切反応していなかったが、私はもう目がそこに釘付け。浄瑠璃の詞章でもはっきり夢だとわかる表現がされているので、なにもそこまでしなくてもわかるはずなのに、その唐突な看板は何??? いつ、どのような経過でこれを下げるようになったの????? と驚愕していたら、その答えが頼りになる参考書、『文楽藝話』(初代吉田玉男・著)に書いてあった。

この吊り看板の演出は江戸時代からあるもので、しかし当時は「夢」ではなく「心」という文字が書かれていたそうだ。これは芝居の世界の約束事で夢オチであることを示すものだったが、時代が変わり意味が通じなくなってきたので、戦後まもなくから「夢」という言葉に変わったらしい。へー。では他にも夢オチのある演目なら同じ演出があるということなのだろうか。

 

もうひとつ驚いたのが、お染と久松はここにいるのに、なぜか二人を主人公にした先行作品『お染久松袂の白絞り』が劇中劇として登場すること。「油店の段」では『お染久松袂の白絞り』の本が登場し、「生玉の段」では芝居小屋に『お染久松 歌祭文』という出し物がかかっている。二人の噂が広まっていることの表現もあるだろうが、初演当時の客が二人の話を知っていることを意識してこういったメタ的な展開にしているのだろう。江戸時代からこういう自己言及的な技法がすでに存在していたのか。

 

 

質店の段。生玉のくだりは二人が同時に見ていた夢だったとわかりつかの間安堵するも、店の外を通る祭文売りの声やお染が久松の子を身ごもっていることをお染の母・おかつ(吉田簑一郎)に感づかれたことで、二人はこの先を悲観する。そこへ久松の父・久作(吉田玉男)が年末の挨拶にと油屋へやってくる。田舎へ帰ろうと言う久作に、久松は年季の残りをたてに油屋へとどまろうとするが……。

おののいてばかりいる二人だが、実にならない不安ばかりを会話しているあたり、頭がまわっていない感じでリアルだ。辛い思いをしているのは実は本人たち以上に親などの周囲の人だという展開が生々しい。久作が久松を革足袋で打擲する場面、一発目は本当に当てているようにしか見えなかった。さすがベテラン。

 

 

蔵前の段。深夜、蔵に閉じ込められた久松の様子を伺いに忍んでくるお染。蔵の二階の窓からから唐突に久松が顔覗かせてるの、なんかかわいいな……。勘彌さんが一切見えないのがかなしいが。

結末は上演によって2種あるらしいけど、今回は心中ENDではなく逃げ切りEND。もう死ぬしかないというところで、どこからともなく善六が蔵の前に現れ、お染と駆け落ちすべく(まだ勘違いしてたのか)蔵から金目のものを盗み出そうと鍵を開けてしまい、出てきた久松に殴り倒されて善六は昏倒、お染と久松は手を取り合って逃げていく。善六、いいとこあるわ……(?)。最後、清兵衛に押さえつけられてワタワタする善六が本当かわいかった。サカナ的な、絶妙なワタワタさだった。

しかし今までの経緯をみるに、問題解決能力皆無でそもそも何も考えていなさそうな久松より、明らかに人間として立派で考えや振る舞いもちゃんとしている清兵衛のほうが絶対いいと思うのですがどうでしょうか、お染さん。このあと久松と駆け落ちしてもろくなことにならないと思うのだが。増村保造監督の映画『好色一代男』に、遊女と大恋愛するも彼女を落籍する甲斐性もなく、主人公が用立ててくれた金で身請けして所帯を持つ男が出てくる。二人の話はこれでハッピーエンドではなく、「その後二人は」という場面が後で出てくるのだが、まあMAX良くてああいうオチなんじゃないですかねえ。

 

邪悪なツッコミはともかく、振袖の人形って難しいんだな〜と思った。前方席だったので、人形が目の前で演技しているので普通より余計なものが見えてしまうというのはあったろうが、衣装が着崩れしているというか、振袖の袖のこなしが途中からうまくいっていなくて、袖の内側(人形には二の腕はないという部分)が見えてしまっていた。演技そのものはかわいいのだが、目立つので惜しい。ものの本を読むと、この段でお染が振袖を振るクドキは見どころとのこと。衣装のこなしがうまくいくかどうかは偶然もあるだろうから、うまくいった場合を見てみたい。

衣装のこなしは他にも羽織の紐が絡まって脱げなくなった人形がいたのだが、ちょうど太夫・三味線が交代するタイミングだったので、床が回っているあいだに後ろを向いて直しおられた。偶発性のある要素は大変だ。

 

 

最初に書いた通り、不思議な構成と演出の話だった。文楽を見るようになって、話自体より芸に注意がいくことが多かったが、今回は話そのもののほうが気になった。古典というのは現代の作劇法とはセオリーがまったく異なっていて、しかし現代に残るまでの完成度があるだけあって、いままでに見たことのない世界を見せてくれる。

 

 

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帰りも新幹線が結構遅延していたが、今回は終演時間自体が早めだったので、東京駅到着以降もなんとか在来線の終電に接続できた。

同日、ジャニーズのコンサートが京セラドームであったらしく、大阪市内の地下鉄も東京行きの新幹線もコンサート帰りの女子たちでびっしり。夜遅いにもかかわらず新幹線の中がきゃっきゃとしていて、女子校の修学旅行みたいで面白かった(勝手にむこうを同類視)。

 

 

文楽 1月大阪初春公演『寿式三番叟』『奥州安達原』『本朝廿四孝』国立文楽劇場

人形浄瑠璃 文楽

もはやまったく正月感のない今日この頃、やっと文楽劇場へ行った。

観劇日前後は大寒波の影響で名古屋~京都付近が大雪、新幹線が徐行運転となり大幅遅延。当日朝の新幹線で大阪へ行き、日帰りで観ようとしていたのであせったが、新幹線の時間を繰り上げたので、70分ほど到着が遅れたけど無事開演には間に合った。かなり早い時間の新幹線に乗ったので4時起きでしたが……。大雪が降っても運休せず新幹線を運行しつづけるJRの降積雪対策技術と、夜間除雪作業等にあたられた方のお陰で無事初春公演観られてよかったです。

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米原付近の雪景色。ふぶいてます。

 

 

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文楽劇場はまだお正月飾りを出していてくれた。

小正月なので本当ギリギリだったが、一応一階ロビーにはまだ鏡餅があった。それと文楽劇場のサイトのニュースに載っていた、黒門市場から届いたというにらみ鯛。って、これって本物の鯛(鮮魚)を貰って初日だけ飾っておくのかと思っていたら、作り物なんですね。

大劇場ロビーには紅白の玉のついた花餅が賑やかにワサワサと飾られていた。場内入ると舞台上方には干支が揮毫された凧と一対の巨大なにらみ鯛がライトアップ。ちょっとぼーっとした顔のピンクの鯛がかわいかった。

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第一部、最初は『寿式三番叟』。

9月に国立劇場で観たのと配役が違うが、そのためか三番叟の踊りの進行が違っていて面白かった。ギャグ顔のほうの三番叟のほうが途中でサボる回数やサボり方、イケメンのほうの三番叟がそれに気づいて「ちょっとちょっと~!」ってやるタイミングが違っていた。今回はわりとすぐイケメンの三番叟(配役・吉田玉佳)がギャグ顔(吉田一輔)のサボりに気づいて「も~っ💦」とやっていた。そのとき玉佳さんまで「も~っ💦」って感じだったのがおかわいい。ギャグ顔の三番叟は何度もサボっていた。

翁は和生さんでさすがの気品ぶり、美しかった。しかし翁が舞っている間、かなりマナーが悪い客がいて、本当和生さんには申し訳なかった……。ここがフィルムセンターなら乱闘始まってたね。

この『寿式三番叟』、太夫・三味線がステージ奥へ雛壇状に並ぶので、通常時より義太夫が小さく聞こえる。私は今回最前列だったが、それでも声・音が小さく思えた。後列のほうの方はどうだったんだろう。

また、一階の展示室では、文楽劇場で開場以来33年間に上演された『寿式三番叟』18回分の記録映像ダイジェストが流されていたが、それを見ても三番叟の踊りの進行は演者によって違っていて、個性が出ていて興味深かった。横にずれていって扇でパタパタひとやすみするのではなく、疲れすぎてバタンキューしちゃうパターン(簑助さん)とか。衣装も通例の黒地ではなく、エメラルドグリーンや紫の衣装を着ている映像もあった。

 

 

『奥州安達原』。

一段だけの上演だったが……、これ、一段のみ上演するにしては話が複雑すぎ、この段だけでも人間関係入り組みすぎでは。しかも人がやたらワサワサ出てくる。にもかかわらず、パンフレットの説明がかなりわかりづらい。説明しきるのは無理と判断したのか説明を大幅にはしょっているのと(壮大な話ですと書かれても……)、文章自体がわかりづらく、事前に読んでもどういう話なのかわからなかった。

 

ざっくり言うと、狂言全体としては、前九年の役で朝廷に滅ぼされた東北地方の豪族・安倍一族の末裔、安倍貞任・宗任兄弟が源義家に報復を企てるが、その目的のために彼らの周囲で悲劇が巻き起こるという話(多分……)。

今回上演の「環の宮明御殿の段」、前半は登場人物が一度にたくさん出てくる上にことばのやりとりが多く、何か詮議をしているのはわかるものの各人の思惑がわからず「???」状態になったが(字幕が見えない席はこういうときツライ)、袖萩(豊松清十郎)が出てきて以降は芸だけ見ていても雰囲気で話の流れを汲める展開だった。門の内側へ入れない落ちぶれた袖萩が母・浜夕(桐竹勘壽)に促され、自らの身の上を歌(祭文)で伝えるあたりが一番の見せ場でとてもよかったが、個人的には、死の間際の袖萩が貞任(吉田玉男)にすがりつくとき、貞任は最初はまっすぐ正面を見て知らぬような顔をしているけど、下を見ると袖萩が手を重ねているのがひっそりとよかった。娘のお君(吉田簑太郎)は相当しっかりしているが、何歳という設定なのだろうか(←追記:詞章に11歳とあった。しっかりしたお子じゃ)。

ここでよかったのは安倍貞任役の玉男さん。前半は桂中納言に化けているのでお公家さん姿の気品のある鷹揚で静かな芝居、後半は本性をあらわし派手な襷掛け衣装の荒々しい姿へ。とてもお似合いの役で、芝居のメリハリが鮮やかで私のような素人でも楽しめる。後半のバクハツ鬘は剛毛だったり固まったりしているのではなく、女子がバッグにつけているファーのポンポンのようにフワフワやわらかげに揺れていて、触りたい、頭ポンポンしたいと思った(休憩時間にロビーで同じことを言っている方がいて笑った)。おもしろいビジュアルといえば、最初は田舎者の姿で登場する弟・時任(吉田玉也)の本性の姿も。太いイエローの綱を鉢巻と襷にしているのがセイバーマリオネットJ(古い)的なセンスでおもしろい。

この段では鏃がキーアイテムになっていて、舞台のあちこちを行き来する。はじめは手裏剣。これ、ちっちゃい&本当に飛ばしているわけじゃない分、人形の演技でどこへ飛ばしているか、客が目で追えるようしっかり見せなくちゃいけなくて大変ですね。ちょととどこへ飛んだかわからないときがあった。次に宗任が白旗に血文字で歌を書く筆。最後には白梅の枝に取り付けられて傔杖の腹切刀になる。梅の枝を刀にするのは、三隅研次監督の映画『斬る』で、市川雷蔵が梅の枝を剣に見立てるくだりを思い出した。また、登場人物の対立構図のほか、源氏を象徴する白という色、対して平家を象徴する赤も重要な意味を持っており、それを解説に書いておいてくれよ〜と思った。劇中何度か取り出される白い旗を使った演出もそうなのだが、白梅が血に染まって紅梅になるところとか、注意していないとわかりづらい。

ところで、幕の直前、貞任と宗任と義家(吉田文昇)がみなド派手な衣装で、しかも貞任と時任はかなり大振りの人形で競り合うように同時に大きく動き、かつ大きな音を立てるため、どこを見ていいかわからず、割り切って玉男さんを見ました(人形を見ろ)。

以上、あまりにパンフレットの解説がわかりづらかったため、(初代)吉田玉男文楽藝話』を参考にして書きました。文楽劇場国立劇場の売店で売っている本で、新書サイズながら内容はかなり専門的、演目ごとに大変細かい解説が書かれていて参考になります。

 

任侠映画が好きと言っているわりに、そこに描かれている義理に縛られ心のままに生きられないという筋書きにいまいち反応できず、むしろ詰めの甘さや脚本上の穴が気になりだすことが多い私だが、文楽だと義理に縛られて親子でも思うように手を取り合えず、想いと行動が逆にならざるを得ないという話がすっと入ってきて、素直に泣けるのがとても不思議。親子ネタも映画ではほとんど感動したことないのに(『砂の器』くらい? これも想いと真逆の行動にならざるを得ないという展開だが)、この袖萩親子の話はとても心に響くものがあった。文楽は洗練と泥臭さと品と俗が入り混じる不思議な世界だ。

 

 

『本朝廿四孝』。

十種香の段。定式幕が開くと、幕の張られた瓦燈口を中央に、障子で中が見えない屋台が左右に割り振られていた。上手の部屋の障子の内側に仕掛けられた幕が巻き上げられると、透ける障子越しに勝頼の姿を描いた掛け軸に手を合わせる八重垣姫(桐竹勘十郎)の後ろ姿が見える。そして下手の部屋では位牌に向かう腰元・濡衣。今回、簑助さんはこの濡衣役で出演されていた。なんか異様に色気したたる腰元がおるなって感じ。これって普段どうなってんの? こういうもんなの? 八重垣姫が勝頼(吉田和生)との関係を疑ってくるのもわかる。この気品のある色気によって、八重垣姫の幼さと可憐さが際立っていてよかった。八重垣姫は一途なお姫様といえば聞こえがいいが、行動が思い込みすぎ&無茶苦茶&豪速球なところ、勘十郎さんに似合う気がする。

それにしても勝頼の衣装がかわいい。光沢のある淡いミントグリーンの裃に、ペールピンクとクリーム色がバイカラーになっている着物は可憐な小花柄。八重垣姫の赤い振袖以上に女の子が好きそうな色合い。

奥庭狐火の段。幕が開くと暗い庭にイエロー〜グリーンの綺麗な色の狐火がふたつプワンプワンしているのが幻想的。本物の火を使う演出。そして待ってました、勘十郎様。諏訪明神の御使のキツネの霊力により姫が魔性を帯びる、人形の派手な見せ場。勘十郎さんご自身がとてもいきいきされていたし、客席も大喜びで、頻繁に拍手の嵐が起こっていた。着付も十種香の薄群青から、キツネを演じるときは白地に火炎、魔性を帯びた火炎の衣装の姫に持ち替えてからは淡いグレーに早変わり。姫の演技も可憐で幼げな十種香とはまったく異なり、水面に映るキツネの姿に怯えながらも人外の霊性を帯びた妖艶なものになる。人形の手もちゃんとキツネの手。動きが激しく速いのに姿が崩れないのは見事。火炎の衣装になった八重垣姫は全員出遣いで、左が一輔さんだったのだが、足がロビーのグリーティングとかで時々見る、いつもがんばってる顔色が真っ青な子だった。いい役もらったんだねえ。

そしてみなさまお待ちかね、ぬいぐるみのキツネちゃんたち。灯籠から現れて兜に憑依するキツネちゃん(勘十郎さん)も尻尾の扱いがかわいくて良いが、最後に八重垣姫が纏う4匹のキツネちゃんもかわいい。ここはお若い人形遣いのみなさんが出遣いで出演。今回配役に名前の出ていない若い子はここで出遣いがあるのね。キツネちゃんたちは画一的な演技ではなく、良い意味で揃っていない、ちゃんといっぴきいっぴき違う個性がある演技。ジブリでこれをアニメ化してもこういうふうにちゃんといっぴきいっぴき違うキツネとして描かれるだろうという感じ。いずれも華やかで可愛く、楽しかった。

 

 

今回は昼ごはんを食堂で食べた。

前述の通り、劇場到着が遅くなってしまったため開演前に予約できなかったので、休憩時間になってから直接食堂へ行った。注文したのは天丼(1,500円)。頑張ってできるだけ早く作って出してくれるのだが、いかんせん休憩時間が30分しかないため15分程度で食べねばならない。にも関わらず、ご飯がすごい量盛られていたので「えー!食べきれない!」と思ったが、箸でつっついてみるとすごくフンワリというか、空気を含んで盛り付けられて、口当たりホロホロになっており、実際の量はそこまでではなかった。この空気を含んだ盛り方、喉につまらないよう、食べやすいようにという配慮? 食堂はちょっと高いけど、席やロビーに比べゆったり余裕のある席で食べられて良い。また、いまどきないくらい接客がテキトーなのも良い。予約したらもうすこしゆっくりできるはずなので、今度は予約にしたい。

 

 

  • 『寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)』
  • 『奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)』環の宮明御殿の段
  • 『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』十種香の段/奥庭狐火の段
  • http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2016/5757.html

2016年ベストムービー5(旧作だけど)

昭和の銀幕

今年はフィルムセンターの三隅研次特集で三隅作品をまとめて観られたのがよかった。それと新文芸坐内田吐夢特集。いずれも強固な美を感じるすばらしい作品群だった。

ベストムービーは毎年10本選んできたが、今年は特に強く心に残った5本について詳しく書き、他の印象深い作品はメモとして付した。

 

┃ 妖刀物語 花の吉原百人斬り

妖刀物語?花の吉原百人斬り? [VHS]

日本映画のオールタイムベストに挙げている方が多いので気になっていた作品、やっと観ることができた。

出だしから中盤までは随分のどかな話である。田舎の絹商人・次郎左衛門(片岡千恵蔵)は商売熱心で真面目な男で、奉公人や商売仲間らからの信頼も厚く、誰からも尊敬されている。しかし彼の顔には大きな痣があるがため幾度も見合いに失敗し、周囲の者は彼が心を痛めているのではないかと心配していた。あるとき、商売仲間が固い一方の次郎左衛門を吉原へ招待する。その座敷で次郎左衛門は「心にまで痣があるわけではないでしょう」と彼の顔を気にしない遊女・八ツ橋(水谷良重)と出会い、次第に彼女に入れ揚げるようになる。周囲の者はそれを静かに見守っていたが……

……と、ここまで観ただけでは何がどうなって「百人斬り」に落ちるの?と思う。原作は歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒』らしいが、調べてびっくり。登場人物設定とオチだけを借用しているようで、肝心の「なぜ百人斬りに至ったのか」の経過が全然違うのである。(※百人斬りってマジ殺人のことね。比喩じゃなくて)

本作で一番上手いのは八ツ橋の設定だ。彼女は岡場所(非合法の下級娼婦)上がりで、お上に捕まり吉原へ入れられた女。周囲の生粋の遊女たちと違い、芸の教養も洗練された美しさもない彼女は見下され馬鹿にされていたが、「松の位(最高位)の太夫になりたい」という野望を持ち、手段を選ばずそれを実現しようとしている。そこへ偶然現れるのが次郎左衛門で、彼はその願いを金の力で叶えてやろうとするのだが……。自分の思いと相手の思惑は本当はまったく違うもののはずなのに、偶然噛み合った一瞬を思い込みでひきずってしまい、取り返しのつかない深みにはまってしまう。次郎左衛門も可哀想だが、正直八ツ橋の心もわかる。別に興味ない相手がちょっとした言葉を勝手な思い込みで良く取って、手前勝手に貢いできただけの、不可抗力といえば不可抗力。それがここまでの惨事を巻き起こすとは考えてもいなかっただろう。いや、ただそれだけでは地獄の扉は開かない。その地獄の門のかんぬきを開けるのは、遊郭の人々、金に支配される浮世のおそろしさ。

ラストシーン、桜舞い散る中、花魁道中の歩む吉原の大門前での立ち回りは壮絶。それまでのリアリズム重視の映像とはうって変わっての虚構の美しさが素晴らしい。花街の装飾で飾られている桜より上の位置から桜の花びらが散ってきてますからね。おそらく歌舞伎の絢爛たる世界をイメージしているのでしょう。のんびりした展開のときのほうが映像がリアルで、修羅場になった途端幻想的な演出となるのが面白い。そして強靭な脚本と演出。日本映画の中で最高峰という人がいるのもわかる。ぜひDVD化してほしい傑作。

 

 

┃ 海魔陸を行く

  • 監督=伊賀山正徳
  • 脚本=松永六郎/原作=今村貞男
  • 製作=ラジオ映画/配給=東映/1950

海中でのどかに暮らしていたタコ「我輩」は魚の行商人に捕らえられ、リヤカーに積まれて陸に挙げられてしまうも、行商人の客先回りの隙をついてニュルリと逃走、なつかしき故郷・海に向かってずんずん地上を這っていくという、本物の生きているタコを主演に迎えて制作された驚異のアニマルアドベンチャー映画。

………………え……??? 気が狂ってる……????? というのが正直なところだが、タコ氏が陸地で出会うクモ、カマキリ、カメ、ヘビなどの生き物たちの生態が精緻な映像で捉えられているのが見どころ。そして、タコ氏の冒険は山あり谷あり、ピンチの連続、手に汗握る展開である(というか、撮影では実際に数匹タコが死んだと思う……)。このうじゅるうじゅる蠢くタコ氏がCV:徳川夢声で英国紳士風のユーモア溢れるエレガントな喋り方というのもすごい。いま制作されたなら、ウケ狙いでしかない悪い意味でのB級映画になるところ、豊かなイマジネーションと気品にあふれたセンスを感じる秀作である。

 


┃ 鬼の棲む館

鬼の棲む館 [DVD]

南北朝時代、京の都の戦火を逃れた盗賊・太郎(勝新太郎)は愛人の白拍子・愛染(新珠三千代)とともに山奥の廃寺に篭っていた。しかしそこへ太郎の妻・楓(高峰秀子)がやって来て、有無を言わさず厨に居座ってしまい、妻妾同居がはじまる。さらに時が流れたある日、その廃寺に旅の上人(佐藤慶)が一夜の宿を乞うてやって来る……。

タイトルの「鬼の棲む館」の「鬼」とは誰のことなのだろう。私が一番恐ろしいのは妻・楓だった。自分から逃げた夫が愛人と暮らす廃寺に上がり込んで住み着いたうえ(この時点で怖すぎ)、正妻であることをタテに新珠三千代を罵倒し被害者ヅラして佐藤慶にすりよるシーンは超名場面。この妻役に高峰秀子とはナイス配役。高峰秀子の女のドロドロ全開の性格最悪女役は増村保造監督『華岡青洲の妻』も最高に素晴らしかったが、本作はそれと双璧をなす性格最悪ぶりでは。

そして、仏の法力が実在するという世界観も超越的。この「仏の法力が実在する」というのがストーリー上の重要なポイントで、「仏の法力が実在する」とわかったとたん、世界ががらりと反転する。本当に信心深かったのは誰か? 南北朝時代の独特の雰囲気も素晴らしい、驚異的な作品。

 

 

┃ 浪花の恋の物語

浪花の恋の物語 [DVD]

歌舞伎・文楽原作の映画化は色々難しいものがあると思う。なんせ大概話が作り話っぽいので……。って、それを言ったらおしまいよ。こらえて観なせえ。となるところ、本作は「原作の元になった事件を近松門左衛門がはたから見ている」というウルトラC(死語)構造で、このストーリーが「作り事」であることを見事逆転着地させている。

客席の寂しい人形浄瑠璃の芝居小屋・竹本座の客席の片隅で、客入りについて旦那衆が座付き作家・近松門左衛門片岡千恵蔵)に嫌味を言うところからこの物語は始まる。その桟敷席に目をやると、見物に来ている飛脚屋のおかみさん・お嬢さんのもとに養子の忠兵衛(中村錦之助)が弁当を届けに現れ、おかみさんに他所の飛脚問屋で封印切りがあったという話をしている。やがて忠兵衛は友人・八右衛門(三島雅夫)に誘われて上がった女郎屋で梅川(有馬稲子)と出会い、物語は次第に『冥途の飛脚』のストーリーに入ってゆく。この『冥途の飛脚』部分の脚本とその演出もすばらしいのだが、二人と深く関わることはないものの、(あっ、いまからネタバレしますよ)その経過をすぐそばでつぶさに見ていた近松がこの世で叶わなかった思いを狂言で遂げさせてやるという構成がすばらしい。現代に残っている浄瑠璃を再解釈すること、それ自体がストーリーとなっている物語構造がまことに見事。なるほど、芝居をそのまんま映画にするのではなく、こういう見せ方もあるのねと思わされた。そして、一部史実を改変しているのもむしろ見所となっている。

重厚で濃度の高い映像が大変に美しい。当時の芝居小屋の内外や中庭を持つ遊郭、忠兵衛の養子先の商店など、あらゆる場所が高レベルの美術で彩られ、登場人物たちが行き交い、呼吸する世界を作り出している。そしてクライマックス、歌舞伎を取り入れた近松のイマジネーションの世界の演出は必見。さらにその理想の世界を表現するラストシーンの美しさには涙。ああなるほど、浄瑠璃の世界の「作り事」っぽさって、こういうことだったんだなあと思わされる。それがどういう演出かは、ぜひとも実際に観ていただきたい。

文楽のシーンは本職の演者=当時の三和会所属の方々が出演し、江戸時代の芝居小屋での「二人三番叟」と「新口村」が結構たっぷり観られる*1。これも結構な見どころで、その美しさに引き込まれた。

 

 

┃ ざ・鬼太鼓座

あの頃映画松竹DVDコレクション ざ・鬼太鼓座[DVD]

今年のフィルメックスでデジタルリマスター版が公開された加藤泰の最後の作品。毀誉褒貶激しい作品だと思うが、褒めている人、認めない人、双方の言い分のわかる複雑な作品だった。

まず、いいところ。とにかく映像が美しい。圧倒的な映像美。個人的には加藤泰の映像面での最高傑作と言って差し支えないと思う。本作は鬼太鼓座の若者たちをとらえた「ドキュメンタリー」と言われているが、実際には「鬼太鼓座」の持っている楽曲のレパートリーをピックアップし、10分程度?のPV風映像をつなぎ合わせた構成。なにをもってPV風と言っているかというと、たとえば最初のほうに入っている剣舞。寺院の長細いお堂(外廊下?)のような場所で演舞をしている映像に、えらいちょうどいいタイミングでいちょうの葉がフワリと舞い上がるのだ。ああこりゃ完全に作ってるんだなと思った。本作の映像美というのは、つまりは作り込んだ映像のことだ。それはたとえば『花と龍』の雪の艀の乱闘シーンや、『明治侠客伝 三代目襲名』の鶴田浩二藤純子の夕焼けの逢引のシーンのように、完全な設計にもとづき撮影されているのだ。単なる撮りっぱのライブ映像ではない。その点でことにすごいのは、佐渡を本拠地とするグループなのに、納得のいく映像美を求めて日本中でロケしていること。土地に根ざしたパフォーマンスをやってるわけではないのか?? いやたしかに唐突に津軽三味線のシーンとかあるので、はじめっからそういう(失礼な言い方をするが)民俗芸能パロディのパフォーマンスなのかもしれないが、それでもなんか本末転倒な気がするが、加藤泰、そこまでやる気だったんだということはわかる。

次によくないところ。出演者のパフォーマンスが映像に追いついていない。太鼓はいいのだが、踊りや和楽器のようなその道のプロフェッショナルが確立している芸の部類が厳しい。芸そのものを見せる目的のグループでないのはわかるが、予想以上に厳しい部分があった。私が一番気になったのは、「櫓のお七」のパート。お七に扮した女性メンバーが人形振りを見せるのだが、この人、踊りをやったことないんじゃないですかねぇ……。この「櫓のお七」はもともと鬼太鼓座のレパートリーにあったが、加藤泰は何らかの理由でその仕上がりに納得がいかず、映画化にあたって舞踊指導をつけたという話が『冬のつらさを』に書いてあったが……。それと、伴奏を津軽三味線の楽曲にしているのだが(メンバーの演奏)、踊りができる人がやるなら意外性があっていいかもしれないけど、踊れない人がやっても双方とも単なる粗雑にしか見えない。でも映像そのものはすごく綺麗なんだよねえ。これはあくまでパフォーマンスであって芸ではないというのが正しいのだろうけど、加藤泰もこれでよかったのだろうか……。他にもこの手の厳しい部分があるのだが、とにかく映像が美しいのですべてどうでもよくなる。

被写体に難色を示され加藤泰の存命中はお蔵入りになったと言われているが、そりゃまあ、これではしゃーないわなと思った。私から見ても、被写体をないがしろにしているレベルで映像そのものを追求しているように感じたので……。しかし、それでもこの映像美は忘れがたく、その点だけでも加藤泰の生涯に残る傑作と言えると思う。

 

 

 

その他、印象に残る作品たち。

  • 『斬る』……最高レベルの時代劇。梅の枝を構えるのが単なる様式美やカッコつけになっていない、それが本当にすごい。
  • 『剣鬼』……花輪和一の漫画のような、あるいはおとぎ話のような世界観のファンタジック時代劇。 この映画がこの世に存在すること自体がすごいと思う。
  • 子連れ狼 三途の川の乳母車』……三隅研次監督の子連れ狼シリーズ、どれもいいのだが、あえて1本選ぶならこれ。上意にのみ生きる刺客たちとの砂漠でのもはや何の意味もない殺し合いが見事。
  • 『炎上』……三島由紀夫金閣寺』の映画化。原作で繰り返し立ち現れてくる美のイデア金閣寺をどう映像化するのか、その一点においてだけでも素晴らしい。邪悪な同級生・仲代達矢もエクセレント。
  • 『ビッグ・マグナム 黒岩先生』……山口和彦は天才だと思う。こんなクソ企画(失礼)でも全力投球でカッコよく仕上げているのだから。
  • 『獅子の座』……伊藤大輔監督、まさかの能もの時代劇。メチャクチャでかい能楽堂のセットがとにかく衝撃的。
  • 『無宿者』……固有名詞を排除するようなクローズアップ多用が印象的。白昼夢の中の世界のような話。
  • 『この天の虹』……企業タイアップ映画ながら木下惠介世界観に満ちた作品。人間のクズにしか見えない技師・田村高廣のキャラクター造形が独特。
  • 『間諜』……不穏な動きを見せる阿波藩に潜入した隠密、内田良平松方弘樹緒形拳を描く時代ものスパイ映画。荒涼とした高温を感じる空気感の描写が見事。
  • 『女番長ブルース 牝蜂の逆襲』……これぞ女子映画。「女の子」の「女の子」である部分を見事に描き切ったプログラムピクチャー。鈴木則文は偉大だった。
  • 文楽 冥途の飛脚』……文楽の舞台の記録映像的な作品で、スタジオ撮影のくせに肝心の人形が写っている部分の色調が最悪なのだが、出演者が豪華なので仕方なく許す。ラピュタでの上映時、客筋がいつもと違っていたのも印象に残る。
  • 『ファンキーハットの快男児 二千万円の腕』……爽やかで明るくてハッピーなSP。若き千葉チャンの溌剌とした健康的な輝きが魅力。
  • 『サラリーマン目白三平』……ほのぼのと、淡々と、庄野潤三の小説を映画化したような、「なんでもない」佳作。
  • 『仇討』……とある仇討事件の顛末を描く衝撃の時代劇。仇討は本人たちは本気だが、ギャラリーは遊び感覚で観に来ている。仇討会場のまわりに出ている出店が凄ぇ。
  • 『越後つついし親不知』……話そのものはよくあるクチだが、オチが普通ではない。
  • 『陸軍諜報33』……イケメン!軍服!拷問!最高!
  • 『海から来た流れ者』……なぜ日活アクションの中で大島は無法地帯なのか。すばらしき日活時空を楽しめる1本。
  • 最後の審判』……ひねくれ者を演じさせたら天下一の仲代達矢主演によるピカレスクロマン。全編に流れる品格がすばらしい。
  • 『温泉みみず芸者』……ピンポイントで恐縮だが、最後の決闘シーンで海岸を這い回るタコを見たヒロインの母が「祖先の霊が助けに来たわ!」というシーン、どうやったらそんなセリフとシチュエーションを思いつくんだ???
  • 『温泉スッポン芸者』……この映画のあらすじを人に話したら、おそらく「こいつ気が狂ったな」と思われるであろう。至上の名品。
  • 刑事物語 東京の迷路』……荒涼とした貧しい街・東京の姿を捉えた刑事もの。ロケ多用が効いている。
  • 『歌え若人達』……木下惠介大先生が描くドリーム炸裂名門大学男子寮物語。話そのものは普通で、主演俳優がおそろしい大根で見ていられないのだが、木下惠介大先生のかわいい男の子大好きハートに胸をうたれる。
  • 恐怖劇場アンバランス「殺しのゲーム」……長谷部安春監督によるテレビドラマ。説明をカットした超スタイリッシュな幕切れがかっこよすぎ。
  • 赤穂浪士』……忠臣蔵初心者の私ですが、これぞ東映と思わされる忠臣蔵映画の決定版だった。既存の「こういうのが忠臣蔵の話だよね」という総意につけ加えられた、二次創作的なオリキャラ・オリジナルエピソードの盛り込み方がうまい。

*1:大夫=豊竹つばめ大夫(当時)、三味線=野澤勝太郎、人形=桐竹紋十郎

文楽 12月東京公演『仮名手本忠臣蔵』国立劇場 小劇場

人形浄瑠璃 文楽

忠臣蔵深作欣二監督の『忠臣蔵外伝 四谷怪談』でしか観たことがない私だが(それは忠臣蔵じゃない)、折角なので一日で全通しで観た。

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全通しで観た一番の感想としては……、様々な登場人物が入れ替わり立ち替わり入り乱れるさまは、まるで壮大な絵巻物を見ているようで、一日夢を観ているようだった。なんだか記憶が渾然としているが、思い出して、段ごとの感想を少しずつ書いていきたいと思う。

 

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鶴が岡兜改めの段、恋歌の段。小さな箱から次々兜が出てくるのが手品のようだった。 顔世御前(配役・吉田文昇)が高師直(吉田玉也)のよこした恋文をポイッと投げるのがうまくて、さすがと思った(?)。しかしこの演技、人形だからチャーミングに見えて可愛いけど、人間がやったら失礼すぎてヤバい。歌舞伎はどうなっているのだろうか。

ここだったと思うが、高師直の人形(人形遣い)が喋ったので驚いた。何と言っているのかわからなかったのだが、パンフレットにそのことらしい解説が載っていて、それによると「早えわ」と言っているらしい。かけ声以外で人形が喋っているのを初めて聞いた。かけ声はそんなに大きい声でないし、お声が可愛めの方も多いので、あんまりびっくりしないが、これはわりと大きな声だったので!?!?!?となった。(そういえばツメ人形はときどき喋りますな)

桃井館本蔵松切の段。このあとの展開もそうなんだけど、錦秋公演で『増補忠臣蔵』観てなかったら意味全然わかんなかった。加古川本蔵(桐竹勘十郎)が松を切る行為、ここでは素直に「高師直を討て」と取ってもいいのかもしれないけど、すぐに賄賂を渡しに出るので、本蔵が何をしたいかよくわからない。主君がパーだと裏工作が大変なことになるという話なのか。若狭助(吉田幸助)は若干パーとしか思えないのだが……。松はどういう仕掛けなのか、カリカリと本当に切っているように見えた。

下馬先進物の段。ここからは夏に内子座で観ているので次の展開がわかり、余裕を持って観られた。内子座では相当狭い場所で呼び止めて、人目に立たないよう賄賂を渡しているように見えたのだが、国立劇場内子座よりステージが広いのでそれっぽく見える。もう記憶があやふやだが、内子座ではここで高師直は姿をあらわす演出だったんだっけな? 今回は姿を見せず駕籠の中のままで声のみ、鷺坂伴内(吉田文司)が対応するという見せ方だった。

腰元おかる文使いの段。おかる(吉田一輔)は腰元らしく、衣装の帯が大きなリボン状になっていて可愛かった。しかし、えげつない女である。

殿中刃傷の段。これはさすがに国立劇場のステージの広さが活きていた。殿中〜って感じだった。殿中、見たことないけど。人形が演技をするスペースが十分にあり、見応え抜群。ばたばたと逃げ回る&追いかけ回す人形に迫力があった。茶坊主(茶道珍才・吉田簑之)の止め方が内子座とちょっと違って面白かった。内子座は本気止めの感じだったが、今回はコアラのようにぎゅーっとしがみついておられて可愛らしかった。そしてここには私の好きな津駒さんが出ていたので嬉しかった。津駒さんは始まる前からものすごく気張っている感じのお顔なのがとても良い。

裏門の段。観劇日の前日に燕三さんの座話会に行ったのだが、三味線弾きさんは入座してすぐのときは道行の端っこにいたり、胡弓や高音(細棹の三味線)を弾いたりしているけど、成長するにつれ次第にひとりで弾く場面に出られるようになってきて、裏門が回ってくると嬉しかった、というお話しがあった。その理由はお話しがなかったが、わりと話の転換点になるところだからだろうか。しかし勘平(豊松清十郎)はライフプランが全体的にアバウトすぎないか。勘平に斬り付けられて(しっぽがないから)頭がまだくっついているか振ってみて「あるともあるとも大丈夫❤️♪」と去ってゆく伴内がかわいい。「鷺」坂伴内だけど、人形だとコロンとしていて黄緑の衣装(たしか)を着ているので、ちょっとうぐいすっぽい。

 

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花籠の段、塩谷判官切腹の段。塩谷判官切腹の段は客席中がピーンとした緊張感で張り詰めていた。音がなにもしない。人形の衣擦れの音だけが聞こえた。先述の燕三さんの座話会のお話は、ここでの演奏の解説がメインだった(塩谷判官切腹の段にご出演なので)。ひとつひとつ、かなり細かく、何故そのように弾くのかを説明しながら実際に弾き語りをしてもらったのだが、観るより先にお話聞いておいてよかった。実際の上演で、ひとつひとつの三味線の音、あるいは詞章、または人形の足拍子の音を注意して聴くことができた。たとえば、塩谷判官(吉田和生)が入場してくるときの「トーン」という音。この音「カラニ」は、弾くと客席が静かになるという。本番でも客席はもとから静かなのだが、その音が鳴るごとにシーンと、これ以上ないほどに静まり返っていった。この段での三味線の弾き方としては、それまでのワサワサした雰囲気から打って変わって静かに始まり、大名である塩谷判官が切腹する場なので、その格調を重んじなくてはいけない(同じ切腹でも、勘平の腹切とは弾き方が違う)というのが大筋のお話しだった。

ちなみに今回、この部分で「通さん場」が設定され、客席の出入りが不可になっていた。「通さん場」は国立劇場の制作の方が頑張って「やる!」と言い出したが、燕三さんは、最近はそこまで厳しくやっていなかったので大丈夫かなと思っていたそうだ。案内係の方が休憩時間にロビーの客に声をかけたりして頑張っておられて、私の観劇した回では無事成立していた。

おまけ話。むかし、文楽が大阪の朝日座で公演していたころ、「塩谷判官切腹の段」はまさに「通さん場」、暗黙の了解で出入りしてはいけない……ということになっていたのだが、当時学生だった入座前の〇〇さん(現役の三味線弾きの方。燕三さんはお名前出されていましたが、一応伏せます)が床の前を横切って出入りしていて、床に座っていた弥七師匠が「うーーーーーーーーーん💢!?💧!?」となっていたそうだ。

城明渡しの段。由良助が暗い門前で提灯の紋を小柄(?)で切り取る場面。内子座では気づいたら切り取られていた提灯の家紋、ちゃんと見ていようと思ったら、ありがたいことだが正面席が取れたので、今回は切っている部分は見えなかった。しかし内子座より切り離すのが速かった。先日の玉翔さんのイベントで、先代の玉男さんの「城明渡しの段」の資料映像を見せていただいたのだが、それも結構速く切っていたので、これくらいが標準スピードなのか?

 

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舞台は夏になり、山崎街道出合いの段、二つ玉の段。ここでは斧定九郎役をやっていた簑紫郎さんがとてもよかったことを書いておきたい。若い人がやる役っていうのはこういうことだったのね(内子座では玉男さんだった。これもとても良かった)。そしていのししが「いの、いの、いのしし〜っ」って感じだった。内子座よりステージが広いので、走りがいがありそうだった。

身売りの段、早野勘平腹切の段。内子座は本当にステージが狭いのでおかるの実家がマジ詫び住まいだった。というか家屋に人形が入り切っておらずきゅーっとなっていて、「コリャ娘でも売らな金はでけん」感がすごかったが、国立劇場ではボロ屋ながらもさすがにちゃんと広さは余裕があり、演技をじっくり観られた。駕籠によりかかって暇そうな女衒(一文字屋才兵衛・吉田玉勢)がかわいかった。

 

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ここから第二部、祇園一力茶屋の段。この段がいちばん面白かった。暗かった第一部の雰囲気から一転、太夫さんが入れ替わり立ち替わりで華やか。場面のせわしない雰囲気にも合っていてワクワクする。平右衛門役の太夫さん(豊竹咲甫太夫)、すごい場所に座るんですね。下手袖に座布団がのっかるだけの小さな仮設の演台が設置されて、落語みたいなことになっていた。咲甫さんはとてもよかった。そして、肩衣と袴が平右衛門の衣装とお揃いで可愛らしかった。

おかる(ここのみ吉田簑助)が二階からはしごで降りるのを見た由良助(吉田玉男)が「船玉様が見える」と言う場面、絶対見えない場所から言っていて笑った。本当に覗いて露骨に下品にしても仕方ないが、それにしても相当離れている。完全にヨッパライの幻覚の距離。しかし覗かれてキャーキャーじたばたするおかるは可愛かった。いや実は覗かれてないから可愛いのかも。

簑助さんはあいかわらずとても可愛かった。おかるが「はぁ?」みたいな反応をする場面できつく体をひねって肩を大きくかたむける仕草が可憐。生身の女性には絶対できないレベルのぶりっこである。体から人形を離して芝居をされるので、人形が本当に生きて動いているようだった。いや本当に、比喩ではなく、人形遣いの動きと人形の動きが関係なさすぎて、どうなっているのかよくわからないのです。ぱっと懐紙の束を舞わせる場面も背景の赤い壁とあいまって鮮やか。

平右衛門は勘十郎さんだった。先日のトークイベントでも平右衛門の人形を持ってきておられて、対談相手に何の人形ですかと問われ、「足軽ですぅ〜」とおっとり答えられていたのでそのときは何の役かよくわからなかったのだが、ここに出てくるのか。そのときは話が複雑になりすぎるから説明されなかったんでしょうが、実際には大変に重要な役だったのね。おかると掛け合う場面など、とても良かった。こういう役がお似合いなのでしょうね。

今回、休演されている紋壽さんの代役で勘壽さんが第一部最後の「早野勘平腹切の段」の与市兵衛女房役で出演しておられたのだが、勘壽さんが九太夫役でここでまた出てきたとき、幻覚を見ているのかと思った。あまりに頻繁に出てくるので……。そんなこんなでずっと縁の下にいる九太夫、私の席からは手摺に隠れて完全に死角になっており、どうやって潜んでいたかは見えなかった。少し見えたのは、由良助に火のついた紙を落とされてギャッとなるところだけ。そのあとあまりに静かにしているので存在を忘れてしまい、刺されたところでやっと存在を思い出して「ちゃんとそこにいたんですね……」と思った。勘壽さん、昼から出ずっぱりで本当お疲れ様でした。

それにしても、由良助が寝ている布団(赤ちゃん用の布団みたいな可愛い奴)、私が普段寝ている布団よりフカフカしている気がして羨ましかった。人形のすぐうしろでかがんでいる玉男さんも一緒に布団をかけられてしまっていて、ちょっと微笑ましい感じ。

 

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道行旅路の嫁入。戸無瀬(吉田和生)と小浪(吉田勘彌)が京へ上りながらいろいろ話したり踊ったり。晴れやかだけど冷たい空気を感じる爽やかな雰囲気。浄瑠璃の詞章には東海道の地名が織り込まれており、私の出身地の地名も出てきて思わず字幕を確認してしまった。

いちど二人が休憩する場面があり、この先まだ相当長いのに、小浪が鏡を取り出し、せっせと化粧を直しているのを見て本当に偉いと思った。私なら京都に着いてから直せばいいやと思ってしまう。いやむしろ面倒すぎて直さないかも。さすが恋する乙女は違う。戸無瀬の煙管からは煙がフワフワしていた。杖についている火種自体に本当に火がついているらしかった。煙管の仕掛けは相変わらずよくわからない。

はじめのほうで背景を通っていく小さな行列、大名行列?と思っていたら花嫁行列だったそうです。左様でしたか……。

 

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雪転しの段、山科閑居の段。時々あの人らの芸に見合わないトンチキな小道具や舞台装置が出てきて笑かしてくれる文楽だが、雪玉がモフモフすぎて笑った。羊毛フェルト的な質感で、申し訳ないけど硬い雪の塊には見えない。でもちゃんとリアルに転がっていた。雪玉はあとで雪だるまにされていて、それを何と説明していたかが聞き取れなかったのだが、帰ってからパンフレットの解説で調べたら、五輪塔にしたということなのね。不細工な雪だるまだと思うとった。

それにしてもこの段、長い。上演時間そのものが長いこともあって、このあたりになるとだんだん我にかえってきており、前半、戸無瀬と小浪が死ぬ死なないで話しているあたり、あまりに打掛を着たり脱いだりしているので幻覚が見えそうになった。いやとてもいい場面なんですけどね。しかし後半は加速度的に緊張感が高まってくるので、また話に没入することができた。

 

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天河屋の段。私、天河屋義平(吉田玉志)が何者なのか本気でわからないんですが、実はみんな知ってたりするんでしょうか。それと、長持が動くのがおもしろすぎるけど、あれはああいうもんなんでしょうか。しかしこの部分、子どもに刀をつきつけるあたりがなんでそんなことなってんのか話が理解できず、帰宅してから解説を読んでやっとわかった。

花水橋引揚の段。はあ〜、これでいよいよ最後〜、と思っていたら、どなたとは言わないが義士のうち一人がドジっ子状態になっていて笑った。最後の最後で緊張感を破壊してくるドジっ子義士、嫌いじゃない。その得物は芝居用の軽い拵えものではなく、本物だったんですね、大変なことで。明日からも頑張ってほしい。

 

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いままでの観劇のなかで一番上演時間が長く、休憩時間も短めで大変だったが(もちろん出演者の方はもっと大変)、とても充実した一日だった。文楽忠臣蔵には討ち入りの場面がないのが不思議だったが、なるほど、刃傷事件が色々な人に波及してゆく、その過程の話が重要ということがよくわかった。別に討ち入りの場面を直接見せる必要はないのね。いい歳こいて、やっとのことで忠臣蔵がどういう話なのか理解できて、よかった。

人形遣いの由良助の役は難しいんだろうなと思った。ほかの役は部分的にしか出てこないため、その部分部分で完結するのでいいのだが、由良助だけはずっと出てくるので、通して見ると個々の場面とは違うイメージが立ち上がってくる。しかも別に派手な動きがある役なわけでもないから、より一層わかりづらい。大筋とても素敵だと思ったんだけど(なんというおこがましい言い方)、良いと思った部分と、よくわからない、ピンとこない部分が混在していた。演技がブレている、迷わせられているという意味ではないのだが、私の理解不足もあって、これってどういうことなんだろうと思ったところもあり……。よく考え直すために、本当はもう一度通して観たいのだが、チケットが完売でもう残っていないので、それは叶わない。人形遣い個々による解釈の違うもあるだろうから、来年の鑑賞教室は『仮名手本忠臣蔵』らしいので、由良助の配役が玉男さん以外になっている回があればそれを観てみるか……比較してどうこうというものでもないけれど。こういう面での理解には時間がかかりそうだと思った。

それと、いろいろなツメ人形がたくさん出てきてとても可愛かった。アバウトな顔でもひとつひとつにみな個性があって、とても良い。パンフレットにも、いつも載っている代表的な役の人形の写真だけでなく、ツメ人形の写真コーナーがあって嬉しかった。

ちなみにパンフレットといえば、寛治さんの思い出語りが読み応えあって面白かったのだが、すこし載っていたご本人提供のむかしの写真、そこにグラサン姿のヤング簑助様が写っていて最高だった。これだけでパンフレット買う価値あると思う。

 

 

  • 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』大序 鶴が岡兜改めの段・恋歌の段、二段目 桃井館本蔵松切の段、三段目 下馬先進物の段・腰元おかる文使いの段・殿中刃傷の段・裏門の段、四段目 花籠の段・塩谷判官切腹の段・城明渡しの段、五段目 山崎街道出合いの段・二つ玉の段、六段目 身売りの段・早野勘平腹切の段、七段目 祇園一力茶屋の段、八段目 道行旅路の嫁入、九段目 雪転しの段・山科閑居の段、十段目 天河屋の段、十一段目 花水橋引揚の段
  • http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2016/12155.html