TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

2016年ベストムービー5(旧作だけど)

今年はフィルムセンターの三隅研次特集で三隅作品をまとめて観られたのがよかった。それと新文芸坐内田吐夢特集。いずれも強固な美を感じるすばらしい作品群だった。

ベストムービーは毎年10本選んできたが、今年は特に強く心に残った5本について詳しく書き、他の印象深い作品はメモとして付した。

 

┃ 妖刀物語 花の吉原百人斬り

妖刀物語?花の吉原百人斬り? [VHS]

日本映画のオールタイムベストに挙げている方が多いので気になっていた作品、やっと観ることができた。

出だしから中盤までは随分のどかな話である。田舎の絹商人・次郎左衛門(片岡千恵蔵)は商売熱心で真面目な男で、奉公人や商売仲間らからの信頼も厚く、誰からも尊敬されている。しかし彼の顔には大きな痣があるがため幾度も見合いに失敗し、周囲の者は彼が心を痛めているのではないかと心配していた。あるとき、商売仲間が固い一方の次郎左衛門を吉原へ招待する。その座敷で次郎左衛門は「心にまで痣があるわけではないでしょう」と彼の顔を気にしない遊女・八ツ橋(水谷良重)と出会い、次第に彼女に入れ揚げるようになる。周囲の者はそれを静かに見守っていたが……

……と、ここまで観ただけでは何がどうなって「百人斬り」に落ちるの?と思う。原作は歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒』らしいが、調べてびっくり。登場人物設定とオチだけを借用しているようで、肝心の「なぜ百人斬りに至ったのか」の経過が全然違うのである。(※百人斬りってマジ殺人のことね。比喩じゃなくて)

本作で一番上手いのは八ツ橋の設定だ。彼女は岡場所(非合法の下級娼婦)上がりで、お上に捕まり吉原へ入れられた女。周囲の生粋の遊女たちと違い、芸の教養も洗練された美しさもない彼女は見下され馬鹿にされていたが、「松の位(最高位)の太夫になりたい」という野望を持ち、手段を選ばずそれを実現しようとしている。そこへ偶然現れるのが次郎左衛門で、彼はその願いを金の力で叶えてやろうとするのだが……。自分の思いと相手の思惑は本当はまったく違うもののはずなのに、偶然噛み合った一瞬を思い込みでひきずってしまい、取り返しのつかない深みにはまってしまう。次郎左衛門も可哀想だが、正直八ツ橋の心もわかる。別に興味ない相手がちょっとした言葉を勝手な思い込みで良く取って、手前勝手に貢いできただけの、不可抗力といえば不可抗力。それがここまでの惨事を巻き起こすとは考えてもいなかっただろう。いや、ただそれだけでは地獄の扉は開かない。その地獄の門のかんぬきを開けるのは、遊郭の人々、金に支配される浮世のおそろしさ。

ラストシーン、桜舞い散る中、花魁道中の歩む吉原の大門前での立ち回りは壮絶。それまでのリアリズム重視の映像とはうって変わっての虚構の美しさが素晴らしい。花街の装飾で飾られている桜より上の位置から桜の花びらが散ってきてますからね。おそらく歌舞伎の絢爛たる世界をイメージしているのでしょう。のんびりした展開のときのほうが映像がリアルで、修羅場になった途端幻想的な演出となるのが面白い。そして強靭な脚本と演出。日本映画の中で最高峰という人がいるのもわかる。ぜひDVD化してほしい傑作。

 

 

┃ 海魔陸を行く

  • 監督=伊賀山正徳
  • 脚本=松永六郎/原作=今村貞男
  • 製作=ラジオ映画/配給=東映/1950

海中でのどかに暮らしていたタコ「我輩」は魚の行商人に捕らえられ、リヤカーに積まれて陸に挙げられてしまうも、行商人の客先回りの隙をついてニュルリと逃走、なつかしき故郷・海に向かってずんずん地上を這っていくという、本物の生きているタコを主演に迎えて制作された驚異のアニマルアドベンチャー映画。

………………え……??? 気が狂ってる……????? というのが正直なところだが、タコ氏が陸地で出会うクモ、カマキリ、カメ、ヘビなどの生き物たちの生態が精緻な映像で捉えられているのが見どころ。そして、タコ氏の冒険は山あり谷あり、ピンチの連続、手に汗握る展開である(というか、撮影では実際に数匹タコが死んだと思う……)。このうじゅるうじゅる蠢くタコ氏がCV:徳川夢声で英国紳士風のユーモア溢れるエレガントな喋り方というのもすごい。いま制作されたなら、ウケ狙いでしかない悪い意味でのB級映画になるところ、豊かなイマジネーションと気品にあふれたセンスを感じる秀作である。

 


┃ 鬼の棲む館

鬼の棲む館 [DVD]

南北朝時代、京の都の戦火を逃れた盗賊・太郎(勝新太郎)は愛人の白拍子・愛染(新珠三千代)とともに山奥の廃寺に篭っていた。しかしそこへ太郎の妻・楓(高峰秀子)がやって来て、有無を言わさず厨に居座ってしまい、妻妾同居がはじまる。さらに時が流れたある日、その廃寺に旅の上人(佐藤慶)が一夜の宿を乞うてやって来る……。

タイトルの「鬼の棲む館」の「鬼」とは誰のことなのだろう。私が一番恐ろしいのは妻・楓だった。自分から逃げた夫が愛人と暮らす廃寺に上がり込んで住み着いたうえ(この時点で怖すぎ)、正妻であることをタテに新珠三千代を罵倒し被害者ヅラして佐藤慶にすりよるシーンは超名場面。この妻役に高峰秀子とはナイス配役。高峰秀子の女のドロドロ全開の性格最悪女役は増村保造監督『華岡青洲の妻』も最高に素晴らしかったが、本作はそれと双璧をなす性格最悪ぶりでは。

そして、仏の法力が実在するという世界観も超越的。この「仏の法力が実在する」というのがストーリー上の重要なポイントで、「仏の法力が実在する」とわかったとたん、世界ががらりと反転する。本当に信心深かったのは誰か? 南北朝時代の独特の雰囲気も素晴らしい、驚異的な作品。

 

 

┃ 浪花の恋の物語

浪花の恋の物語 [DVD]

歌舞伎・文楽原作の映画化は色々難しいものがあると思う。なんせ大概話が作り話っぽいので……。って、それを言ったらおしまいよ。こらえて観なせえ。となるところ、本作は「原作の元になった事件を近松門左衛門がはたから見ている」というウルトラC(死語)構造で、このストーリーが「作り事」であることを見事逆転着地させている。

客席の寂しい人形浄瑠璃の芝居小屋・竹本座の客席の片隅で、客入りについて旦那衆が座付き作家・近松門左衛門片岡千恵蔵)に嫌味を言うところからこの物語は始まる。その桟敷席に目をやると、見物に来ている飛脚屋のおかみさん・お嬢さんのもとに養子の忠兵衛(中村錦之助)が弁当を届けに現れ、おかみさんに他所の飛脚問屋で封印切りがあったという話をしている。やがて忠兵衛は友人・八右衛門(三島雅夫)に誘われて上がった女郎屋で梅川(有馬稲子)と出会い、物語は次第に『冥途の飛脚』のストーリーに入ってゆく。この『冥途の飛脚』部分の脚本とその演出もすばらしいのだが、二人と深く関わることはないものの、(あっ、いまからネタバレしますよ)その経過をすぐそばでつぶさに見ていた近松がこの世で叶わなかった思いを狂言で遂げさせてやるという構成がすばらしい。現代に残っている浄瑠璃を再解釈すること、それ自体がストーリーとなっている物語構造がまことに見事。なるほど、芝居をそのまんま映画にするのではなく、こういう見せ方もあるのねと思わされた。そして、一部史実を改変しているのもむしろ見所となっている。

重厚で濃度の高い映像が大変に美しい。当時の芝居小屋の内外や中庭を持つ遊郭、忠兵衛の養子先の商店など、あらゆる場所が高レベルの美術で彩られ、登場人物たちが行き交い、呼吸する世界を作り出している。そしてクライマックス、歌舞伎を取り入れた近松のイマジネーションの世界の演出は必見。さらにその理想の世界を表現するラストシーンの美しさには涙。ああなるほど、浄瑠璃の世界の「作り事」っぽさって、こういうことだったんだなあと思わされる。それがどういう演出かは、ぜひとも実際に観ていただきたい。

文楽のシーンは本職の演者=当時の三和会所属の方々が出演し、江戸時代の芝居小屋での「二人三番叟」と「新口村」が結構たっぷり観られる*1。これも結構な見どころで、その美しさに引き込まれた。

 

 

┃ ざ・鬼太鼓座

あの頃映画松竹DVDコレクション ざ・鬼太鼓座[DVD]

今年のフィルメックスでデジタルリマスター版が公開された加藤泰の最後の作品。毀誉褒貶激しい作品だと思うが、褒めている人、認めない人、双方の言い分のわかる複雑な作品だった。

まず、いいところ。とにかく映像が美しい。圧倒的な映像美。個人的には加藤泰の映像面での最高傑作と言って差し支えないと思う。本作は鬼太鼓座の若者たちをとらえた「ドキュメンタリー」と言われているが、実際には「鬼太鼓座」の持っている楽曲のレパートリーをピックアップし、10分程度?のPV風映像をつなぎ合わせた構成。なにをもってPV風と言っているかというと、たとえば最初のほうに入っている剣舞。寺院の長細いお堂(外廊下?)のような場所で演舞をしている映像に、えらいちょうどいいタイミングでいちょうの葉がフワリと舞い上がるのだ。ああこりゃ完全に作ってるんだなと思った。本作の映像美というのは、つまりは作り込んだ映像のことだ。それはたとえば『花と龍』の雪の艀の乱闘シーンや、『明治侠客伝 三代目襲名』の鶴田浩二藤純子の夕焼けの逢引のシーンのように、完全な設計にもとづき撮影されているのだ。単なる撮りっぱのライブ映像ではない。その点でことにすごいのは、佐渡を本拠地とするグループなのに、納得のいく映像美を求めて日本中でロケしていること。土地に根ざしたパフォーマンスをやってるわけではないのか?? いやたしかに唐突に津軽三味線のシーンとかあるので、はじめっからそういう(失礼な言い方をするが)民俗芸能パロディのパフォーマンスなのかもしれないが、それでもなんか本末転倒な気がするが、加藤泰、そこまでやる気だったんだということはわかる。

次によくないところ。出演者のパフォーマンスが映像に追いついていない。太鼓はいいのだが、踊りや和楽器のようなその道のプロフェッショナルが確立している芸の部類が厳しい。芸そのものを見せる目的のグループでないのはわかるが、予想以上に厳しい部分があった。私が一番気になったのは、「櫓のお七」のパート。お七に扮した女性メンバーが人形振りを見せるのだが、この人、踊りをやったことないんじゃないですかねぇ……。この「櫓のお七」はもともと鬼太鼓座のレパートリーにあったが、加藤泰は何らかの理由でその仕上がりに納得がいかず、映画化にあたって舞踊指導をつけたという話が『冬のつらさを』に書いてあったが……。それと、伴奏を津軽三味線の楽曲にしているのだが(メンバーの演奏)、踊りができる人がやるなら意外性があっていいかもしれないけど、踊れない人がやっても双方とも単なる粗雑にしか見えない。でも映像そのものはすごく綺麗なんだよねえ。これはあくまでパフォーマンスであって芸ではないというのが正しいのだろうけど、加藤泰もこれでよかったのだろうか……。他にもこの手の厳しい部分があるのだが、とにかく映像が美しいのですべてどうでもよくなる。

被写体に難色を示され加藤泰の存命中はお蔵入りになったと言われているが、そりゃまあ、これではしゃーないわなと思った。私から見ても、被写体をないがしろにしているレベルで映像そのものを追求しているように感じたので……。しかし、それでもこの映像美は忘れがたく、その点だけでも加藤泰の生涯に残る傑作と言えると思う。

 

 

 

その他、印象に残る作品たち。

  • 『斬る』……最高レベルの時代劇。梅の枝を構えるのが単なる様式美やカッコつけになっていない、それが本当にすごい。
  • 『剣鬼』……花輪和一の漫画のような、あるいはおとぎ話のような世界観のファンタジック時代劇。 この映画がこの世に存在すること自体がすごいと思う。
  • 子連れ狼 三途の川の乳母車』……三隅研次監督の子連れ狼シリーズ、どれもいいのだが、あえて1本選ぶならこれ。上意にのみ生きる刺客たちとの砂漠でのもはや何の意味もない殺し合いが見事。
  • 『炎上』……三島由紀夫金閣寺』の映画化。原作で繰り返し立ち現れてくる美のイデア金閣寺をどう映像化するのか、その一点においてだけでも素晴らしい。邪悪な同級生・仲代達矢もエクセレント。
  • 『ビッグ・マグナム 黒岩先生』……山口和彦は天才だと思う。こんなクソ企画(失礼)でも全力投球でカッコよく仕上げているのだから。
  • 『獅子の座』……伊藤大輔監督、まさかの能もの時代劇。メチャクチャでかい能楽堂のセットがとにかく衝撃的。
  • 『無宿者』……固有名詞を排除するようなクローズアップ多用が印象的。白昼夢の中の世界のような話。
  • 『この天の虹』……企業タイアップ映画ながら木下惠介世界観に満ちた作品。人間のクズにしか見えない技師・田村高廣のキャラクター造形が独特。
  • 『間諜』……不穏な動きを見せる阿波藩に潜入した隠密、内田良平松方弘樹緒形拳を描く時代ものスパイ映画。荒涼とした高温を感じる空気感の描写が見事。
  • 『女番長ブルース 牝蜂の逆襲』……これぞ女子映画。「女の子」の「女の子」である部分を見事に描き切ったプログラムピクチャー。鈴木則文は偉大だった。
  • 文楽 冥途の飛脚』……文楽の舞台の記録映像的な作品で、スタジオ撮影のくせに肝心の人形が写っている部分の色調が最悪なのだが、出演者が豪華なので仕方なく許す。ラピュタでの上映時、客筋がいつもと違っていたのも印象に残る。
  • 『ファンキーハットの快男児 二千万円の腕』……爽やかで明るくてハッピーなSP。若き千葉チャンの溌剌とした健康的な輝きが魅力。
  • 『サラリーマン目白三平』……ほのぼのと、淡々と、庄野潤三の小説を映画化したような、「なんでもない」佳作。
  • 『仇討』……とある仇討事件の顛末を描く衝撃の時代劇。仇討は本人たちは本気だが、ギャラリーは遊び感覚で観に来ている。仇討会場のまわりに出ている出店が凄ぇ。
  • 『越後つついし親不知』……話そのものはよくあるクチだが、オチが普通ではない。
  • 『陸軍諜報33』……イケメン!軍服!拷問!最高!
  • 『海から来た流れ者』……なぜ日活アクションの中で大島は無法地帯なのか。すばらしき日活時空を楽しめる1本。
  • 最後の審判』……ひねくれ者を演じさせたら天下一の仲代達矢主演によるピカレスクロマン。全編に流れる品格がすばらしい。
  • 『温泉みみず芸者』……ピンポイントで恐縮だが、最後の決闘シーンで海岸を這い回るタコを見たヒロインの母が「祖先の霊が助けに来たわ!」というシーン、どうやったらそんなセリフとシチュエーションを思いつくんだ???
  • 『温泉スッポン芸者』……この映画のあらすじを人に話したら、おそらく「こいつ気が狂ったな」と思われるであろう。至上の名品。
  • 刑事物語 東京の迷路』……荒涼とした貧しい街・東京の姿を捉えた刑事もの。ロケ多用が効いている。
  • 『歌え若人達』……木下惠介大先生が描くドリーム炸裂名門大学男子寮物語。話そのものは普通で、主演俳優がおそろしい大根で見ていられないのだが、木下惠介大先生のかわいい男の子大好きハートに胸をうたれる。
  • 恐怖劇場アンバランス「殺しのゲーム」……長谷部安春監督によるテレビドラマ。説明をカットした超スタイリッシュな幕切れがかっこよすぎ。
  • 赤穂浪士』……忠臣蔵初心者の私ですが、これぞ東映と思わされる忠臣蔵映画の決定版だった。既存の「こういうのが忠臣蔵の話だよね」という総意につけ加えられた、二次創作的なオリキャラ・オリジナルエピソードの盛り込み方がうまい。

*1:大夫=豊竹つばめ大夫(当時)、三味線=野澤勝太郎、人形=桐竹紋十郎

文楽 12月東京公演『仮名手本忠臣蔵』国立劇場 小劇場

忠臣蔵深作欣二監督の『忠臣蔵外伝 四谷怪談』でしか観たことがない私だが(それは忠臣蔵じゃない)、折角なので一日で全通しで観た。

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全通しで観た一番の感想としては……、様々な登場人物が入れ替わり立ち替わり入り乱れるさまは、まるで壮大な絵巻物を見ているようで、一日夢を観ているようだった。なんだか記憶が渾然としているが、思い出して、段ごとの感想を少しずつ書いていきたいと思う。

 

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鶴が岡兜改めの段、恋歌の段。小さな箱から次々兜が出てくるのが手品のようだった。 顔世御前(配役・吉田文昇)が高師直(吉田玉也)のよこした恋文をポイッと投げるのがうまくて、さすがと思った(?)。しかしこの演技、人形だからチャーミングに見えて可愛いけど、人間がやったら失礼すぎてヤバい。歌舞伎はどうなっているのだろうか。

ここだったと思うが、高師直の人形(人形遣い)が喋ったので驚いた。何と言っているのかわからなかったのだが、パンフレットにそのことらしい解説が載っていて、それによると「早えわ」と言っているらしい。かけ声以外で人形が喋っているのを初めて聞いた。かけ声はそんなに大きい声でないし、お声が可愛めの方も多いので、あんまりびっくりしないが、これはわりと大きな声だったので!?!?!?となった。(そういえばツメ人形はときどき喋りますな)

桃井館本蔵松切の段。このあとの展開もそうなんだけど、錦秋公演で『増補忠臣蔵』観てなかったら意味全然わかんなかった。加古川本蔵(桐竹勘十郎)が松を切る行為、ここでは素直に「高師直を討て」と取ってもいいのかもしれないけど、すぐに賄賂を渡しに出るので、本蔵が何をしたいかよくわからない。主君がパーだと裏工作が大変なことになるという話なのか。若狭助(吉田幸助)は若干パーとしか思えないのだが……。松はどういう仕掛けなのか、カリカリと本当に切っているように見えた。

下馬先進物の段。ここからは夏に内子座で観ているので次の展開がわかり、余裕を持って観られた。内子座では相当狭い場所で呼び止めて、人目に立たないよう賄賂を渡しているように見えたのだが、国立劇場内子座よりステージが広いのでそれっぽく見える。もう記憶があやふやだが、内子座ではここで高師直は姿をあらわす演出だったんだっけな? 今回は姿を見せず駕籠の中のままで声のみ、鷺坂伴内(吉田文司)が対応するという見せ方だった。

腰元おかる文使いの段。おかる(吉田一輔)は腰元らしく、衣装の帯が大きなリボン状になっていて可愛かった。しかし、えげつない女である。

殿中刃傷の段。これはさすがに国立劇場のステージの広さが活きていた。殿中〜って感じだった。殿中、見たことないけど。人形が演技をするスペースが十分にあり、見応え抜群。ばたばたと逃げ回る&追いかけ回す人形に迫力があった。茶坊主(茶道珍才・吉田簑之)の止め方が内子座とちょっと違って面白かった。内子座は本気止めの感じだったが、今回はコアラのようにぎゅーっとしがみついておられて可愛らしかった。そしてここには私の好きな津駒さんが出ていたので嬉しかった。津駒さんは始まる前からものすごく気張っている感じのお顔なのがとても良い。

裏門の段。観劇日の前日に燕三さんの座話会に行ったのだが、三味線弾きさんは入座してすぐのときは道行の端っこにいたり、胡弓や高音(細棹の三味線)を弾いたりしているけど、成長するにつれ次第にひとりで弾く場面に出られるようになってきて、裏門が回ってくると嬉しかった、というお話しがあった。その理由はお話しがなかったが、わりと話の転換点になるところだからだろうか。しかし勘平(豊松清十郎)はライフプランが全体的にアバウトすぎないか。勘平に斬り付けられて(しっぽがないから)頭がまだくっついているか振ってみて「あるともあるとも大丈夫❤️♪」と去ってゆく伴内がかわいい。「鷺」坂伴内だけど、人形だとコロンとしていて黄緑の衣装(たしか)を着ているので、ちょっとうぐいすっぽい。

 

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花籠の段、塩谷判官切腹の段。塩谷判官切腹の段は客席中がピーンとした緊張感で張り詰めていた。音がなにもしない。人形の衣擦れの音だけが聞こえた。先述の燕三さんの座話会のお話は、ここでの演奏の解説がメインだった(塩谷判官切腹の段にご出演なので)。ひとつひとつ、かなり細かく、何故そのように弾くのかを説明しながら実際に弾き語りをしてもらったのだが、観るより先にお話聞いておいてよかった。実際の上演で、ひとつひとつの三味線の音、あるいは詞章、または人形の足拍子の音を注意して聴くことができた。たとえば、塩谷判官(吉田和生)が入場してくるときの「トーン」という音。この音「カラニ」は、弾くと客席が静かになるという。本番でも客席はもとから静かなのだが、その音が鳴るごとにシーンと、これ以上ないほどに静まり返っていった。この段での三味線の弾き方としては、それまでのワサワサした雰囲気から打って変わって静かに始まり、大名である塩谷判官が切腹する場なので、その格調を重んじなくてはいけない(同じ切腹でも、勘平の腹切とは弾き方が違う)というのが大筋のお話しだった。

ちなみに今回、この部分で「通さん場」が設定され、客席の出入りが不可になっていた。「通さん場」は国立劇場の制作の方が頑張って「やる!」と言い出したが、燕三さんは、最近はそこまで厳しくやっていなかったので大丈夫かなと思っていたそうだ。案内係の方が休憩時間にロビーの客に声をかけたりして頑張っておられて、私の観劇した回では無事成立していた。

おまけ話。むかし、文楽が大阪の朝日座で公演していたころ、「塩谷判官切腹の段」はまさに「通さん場」、暗黙の了解で出入りしてはいけない……ということになっていたのだが、当時学生だった入座前の〇〇さん(現役の三味線弾きの方。燕三さんはお名前出されていましたが、一応伏せます)が床の前を横切って出入りしていて、床に座っていた弥七師匠が「うーーーーーーーーーん💢!?💧!?」となっていたそうだ。

城明渡しの段。由良助が暗い門前で提灯の紋を小柄(?)で切り取る場面。内子座では気づいたら切り取られていた提灯の家紋、ちゃんと見ていようと思ったら、ありがたいことだが正面席が取れたので、今回は切っている部分は見えなかった。しかし内子座より切り離すのが速かった。先日の玉翔さんのイベントで、先代の玉男さんの「城明渡しの段」の資料映像を見せていただいたのだが、それも結構速く切っていたので、これくらいが標準スピードなのか?

 

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舞台は夏になり、山崎街道出合いの段、二つ玉の段。ここでは斧定九郎役をやっていた簑紫郎さんがとてもよかったことを書いておきたい。若い人がやる役っていうのはこういうことだったのね(内子座では玉男さんだった。これもとても良かった)。そしていのししが「いの、いの、いのしし〜っ」って感じだった。内子座よりステージが広いので、走りがいがありそうだった。

身売りの段、早野勘平腹切の段。内子座は本当にステージが狭いのでおかるの実家がマジ詫び住まいだった。というか家屋に人形が入り切っておらずきゅーっとなっていて、「コリャ娘でも売らな金はでけん」感がすごかったが、国立劇場ではボロ屋ながらもさすがにちゃんと広さは余裕があり、演技をじっくり観られた。駕籠によりかかって暇そうな女衒(一文字屋才兵衛・吉田玉勢)がかわいかった。

 

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ここから第二部、祇園一力茶屋の段。この段がいちばん面白かった。暗かった第一部の雰囲気から一転、太夫さんが入れ替わり立ち替わりで華やか。場面のせわしない雰囲気にも合っていてワクワクする。平右衛門役の太夫さん(豊竹咲甫太夫)、すごい場所に座るんですね。下手袖に座布団がのっかるだけの小さな仮設の演台が設置されて、落語みたいなことになっていた。咲甫さんはとてもよかった。そして、肩衣と袴が平右衛門の衣装とお揃いで可愛らしかった。

おかる(ここのみ吉田簑助)が二階からはしごで降りるのを見た由良助(吉田玉男)が「船玉様が見える」と言う場面、絶対見えない場所から言っていて笑った。本当に覗いて露骨に下品にしても仕方ないが、それにしても相当離れている。完全にヨッパライの幻覚の距離。しかし覗かれてキャーキャーじたばたするおかるは可愛かった。いや実は覗かれてないから可愛いのかも。

簑助さんはあいかわらずとても可愛かった。おかるが「はぁ?」みたいな反応をする場面できつく体をひねって肩を大きくかたむける仕草が可憐。生身の女性には絶対できないレベルのぶりっこである。体から人形を離して芝居をされるので、人形が本当に生きて動いているようだった。いや本当に、比喩ではなく、人形遣いの動きと人形の動きが関係なさすぎて、どうなっているのかよくわからないのです。ぱっと懐紙の束を舞わせる場面も背景の赤い壁とあいまって鮮やか。

平右衛門は勘十郎さんだった。先日のトークイベントでも平右衛門の人形を持ってきておられて、対談相手に何の人形ですかと問われ、「足軽ですぅ〜」とおっとり答えられていたのでそのときは何の役かよくわからなかったのだが、ここに出てくるのか。そのときは話が複雑になりすぎるから説明されなかったんでしょうが、実際には大変に重要な役だったのね。おかると掛け合う場面など、とても良かった。こういう役がお似合いなのでしょうね。

今回、休演されている紋壽さんの代役で勘壽さんが第一部最後の「早野勘平腹切の段」の与市兵衛女房役で出演しておられたのだが、勘壽さんが九太夫役でここでまた出てきたとき、幻覚を見ているのかと思った。あまりに頻繁に出てくるので……。そんなこんなでずっと縁の下にいる九太夫、私の席からは手摺に隠れて完全に死角になっており、どうやって潜んでいたかは見えなかった。少し見えたのは、由良助に火のついた紙を落とされてギャッとなるところだけ。そのあとあまりに静かにしているので存在を忘れてしまい、刺されたところでやっと存在を思い出して「ちゃんとそこにいたんですね……」と思った。勘壽さん、昼から出ずっぱりで本当お疲れ様でした。

それにしても、由良助が寝ている布団(赤ちゃん用の布団みたいな可愛い奴)、私が普段寝ている布団よりフカフカしている気がして羨ましかった。人形のすぐうしろでかがんでいる玉男さんも一緒に布団をかけられてしまっていて、ちょっと微笑ましい感じ。

 

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道行旅路の嫁入。戸無瀬(吉田和生)と小浪(吉田勘彌)が京へ上りながらいろいろ話したり踊ったり。晴れやかだけど冷たい空気を感じる爽やかな雰囲気。浄瑠璃の詞章には東海道の地名が織り込まれており、私の出身地の地名も出てきて思わず字幕を確認してしまった。

いちど二人が休憩する場面があり、この先まだ相当長いのに、小浪が鏡を取り出し、せっせと化粧を直しているのを見て本当に偉いと思った。私なら京都に着いてから直せばいいやと思ってしまう。いやむしろ面倒すぎて直さないかも。さすが恋する乙女は違う。戸無瀬の煙管からは煙がフワフワしていた。杖についている火種自体に本当に火がついているらしかった。煙管の仕掛けは相変わらずよくわからない。

はじめのほうで背景を通っていく小さな行列、大名行列?と思っていたら花嫁行列だったそうです。左様でしたか……。

 

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雪転しの段、山科閑居の段。時々あの人らの芸に見合わないトンチキな小道具や舞台装置が出てきて笑かしてくれる文楽だが、雪玉がモフモフすぎて笑った。羊毛フェルト的な質感で、申し訳ないけど硬い雪の塊には見えない。でもちゃんとリアルに転がっていた。雪玉はあとで雪だるまにされていて、それを何と説明していたかが聞き取れなかったのだが、帰ってからパンフレットの解説で調べたら、五輪塔にしたということなのね。不細工な雪だるまだと思うとった。

それにしてもこの段、長い。上演時間そのものが長いこともあって、このあたりになるとだんだん我にかえってきており、前半、戸無瀬と小浪が死ぬ死なないで話しているあたり、あまりに打掛を着たり脱いだりしているので幻覚が見えそうになった。いやとてもいい場面なんですけどね。しかし後半は加速度的に緊張感が高まってくるので、また話に没入することができた。

 

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天河屋の段。私、天河屋義平(吉田玉志)が何者なのか本気でわからないんですが、実はみんな知ってたりするんでしょうか。それと、長持が動くのがおもしろすぎるけど、あれはああいうもんなんでしょうか。しかしこの部分、子どもに刀をつきつけるあたりがなんでそんなことなってんのか話が理解できず、帰宅してから解説を読んでやっとわかった。

花水橋引揚の段。はあ〜、これでいよいよ最後〜、と思っていたら、どなたとは言わないが義士のうち一人がドジっ子状態になっていて笑った。最後の最後で緊張感を破壊してくるドジっ子義士、嫌いじゃない。その得物は芝居用の軽い拵えものではなく、本物だったんですね、大変なことで。明日からも頑張ってほしい。

 

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いままでの観劇のなかで一番上演時間が長く、休憩時間も短めで大変だったが(もちろん出演者の方はもっと大変)、とても充実した一日だった。文楽忠臣蔵には討ち入りの場面がないのが不思議だったが、なるほど、刃傷事件が色々な人に波及してゆく、その過程の話が重要ということがよくわかった。別に討ち入りの場面を直接見せる必要はないのね。いい歳こいて、やっとのことで忠臣蔵がどういう話なのか理解できて、よかった。

人形遣いの由良助の役は難しいんだろうなと思った。ほかの役は部分的にしか出てこないため、その部分部分で完結するのでいいのだが、由良助だけはずっと出てくるので、通して見ると個々の場面とは違うイメージが立ち上がってくる。しかも別に派手な動きがある役なわけでもないから、より一層わかりづらい。大筋とても素敵だと思ったんだけど(なんというおこがましい言い方)、良いと思った部分と、よくわからない、ピンとこない部分が混在していた。演技がブレている、迷わせられているという意味ではないのだが、私の理解不足もあって、これってどういうことなんだろうと思ったところもあり……。よく考え直すために、本当はもう一度通して観たいのだが、チケットが完売でもう残っていないので、それは叶わない。人形遣い個々による解釈の違うもあるだろうから、来年の鑑賞教室は『仮名手本忠臣蔵』らしいので、由良助の配役が玉男さん以外になっている回があればそれを観てみるか……比較してどうこうというものでもないけれど。こういう面での理解には時間がかかりそうだと思った。

それと、いろいろなツメ人形がたくさん出てきてとても可愛かった。アバウトな顔でもひとつひとつにみな個性があって、とても良い。パンフレットにも、いつも載っている代表的な役の人形の写真だけでなく、ツメ人形の写真コーナーがあって嬉しかった。

ちなみにパンフレットといえば、寛治さんの思い出語りが読み応えあって面白かったのだが、すこし載っていたご本人提供のむかしの写真、そこにグラサン姿のヤング簑助様が写っていて最高だった。これだけでパンフレット買う価値あると思う。

 

 

  • 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』大序 鶴が岡兜改めの段・恋歌の段、二段目 桃井館本蔵松切の段、三段目 下馬先進物の段・腰元おかる文使いの段・殿中刃傷の段・裏門の段、四段目 花籠の段・塩谷判官切腹の段・城明渡しの段、五段目 山崎街道出合いの段・二つ玉の段、六段目 身売りの段・早野勘平腹切の段、七段目 祇園一力茶屋の段、八段目 道行旅路の嫁入、九段目 雪転しの段・山科閑居の段、十段目 天河屋の段、十一段目 花水橋引揚の段
  • http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2016/12155.html

文楽 トークイベント:竹本住大夫「文楽と国立劇場の50年」伝統芸能サロン

国立劇場主催の事前応募制イベント、2016年11月30日(水)開催。書いております通り、私、今年の2月に文楽観始めたので、住大夫さんの現役時代にカスリもしていないが、せっかくなので行ってみた。

形式は、司会の文楽劇場の企画の方(師匠のお気に入り?)が住大夫さんのお話を伺うというもの。一応テーマが「文楽国立劇場の50年」なのでまず国立劇場開場の話からのはずだったのだが、三和会時代のメチャクチャ話から引退の日の思い出へと話がアッチャコッチャしつつも、司会の方がなんとかがんばってまとめていた。

以下、住大夫さんのお話の簡単なまとめ。すべて優雅な大阪弁で話されていたのですが、ネイティブスピーカーじゃないので再現できず。標準語訳させていただきます。お名前は、特記なき限り当時です。

 

┃ 三和会時代と国立劇場の開場

  • 国立劇場ができたときまず思ったのは、「これで東京の我が家ができた」ということ。ホッとした。三和会時代は三越劇場が拠点だったが、そのころの三越は建物が古く、音響は悪いしステージは狭いしでひどかったので。国立劇場は目の前が皇居で隣が最高裁で、「こんなとこででけるんかな?」と思った。場所が不便なので、お客さんの足が心配だった。
  • 三和会では悪戦苦闘して、あのころは本当によく耐えたと思う。東京と大阪で公演していたが、大阪はそのころから入りが悪かった。1000円のギャラのはずが入りが悪いと700円だったり。生活は苦しかったが、貧乏に負けたらいかんと先代の燕三さんとよく言っていた。
  • 地方巡業は鈍行だった。途中で急行や特急に抜かれる。東北地方での公演で夜行に乗るにしても寝台には乗せてもらえなかった。入りの悪い小屋(興行主)は待遇も悪い。旅館でハンガーがないと言ったら「向かいの店に売っている」と言われたり。朝食で漬物がなくて、燕三さんが「漬物出せ!💢」と旅館の人に言ったら、「金払え!」と返された。「刑務所より待遇悪いわ!💢」「刑務所行ったことあるんか!」「昨日帰ってきたわ!💢」と言い合いになった。
  • 三和会の公演では、4つ外題をやるとして、2つ自分が出るとしたら、出ていないときは、人形遣いの人手が足らないので、人形の足を持っていた。たとえば「酒屋」のお園なら、動きの多い前半の難しいところは本職(人形遣い)が持って、じ〜っとしている後半の足を持っている。その経験は「人形遣いはこうしているのか」と勉強になった。ツメ人形も遣ったことがある。ほかには介錯。紋十郎師匠が『勧進帳』の弁慶をやったときは、小道具を渡す介錯をやった。あれも結構大変。紋十郎師匠は女形だったので弁慶もやわらかい、やさしいところがあったが、初日から落日までビシッと決まっていた。先日の大阪公演で『勧進帳』が出たが、勘十郎くん(当代)に「わしがやったときのほうがうまかったで〜」と話した。勘十郎くんは「そうでんねん、芝居気があらしまへんねん」と言っていた。(←突如発言を暴露される勘十郎さん)
  • 生活が苦しいので、アルバイトで映画にも出た。溝口健二の『西鶴一代女』、大夫役。三越劇場の公演中に。でもそんなことがバレると首が飛ぶので、楽屋へかつら合わせに来てもらったときは楽屋の前に見張りを立てた。公演が終わってからいまの枚方パークの場所にあったスタジオへ行った(このあたりよくわからなかった、間違っているかも)。出演シーンで一言のセリフに何度もNGを出す俳優がおり、何度もリテイクがかかった。みんな待っているということで、監督が諦めてOKになった。夜食は玉子丼だった。終わったら朝で、そのまま三越劇場へ直行した。暗い映画だった。
  • ほかにも藤山寛美の出ていた「俺は国宝や」(? 聞き取れず)というドラマにも出た。手紙を代読するシーンで、浄瑠璃調に読んでしまい、みんなに笑われた。
  • 国立劇場の開場記念では大夫・三味線全員で『寿式三番叟』に出た。あのときは本当にみんな揃っていた。今はバラバラ(文句ありげなニュアンス)。
  • 国立劇場の研修制度ができて、文楽は本当に助かった。当初は東京で開講していて、1授業1時間20分だった。

 

┃ 修行と弟子への教え

  • 文楽もこの50年でよう変わったなあと思う。
  • 自分は悪声だったが、口さばきだけはみんなに褒められた。心がけていたのは、上手にやろうとしてはいけないということ。弟子にも上手にやれと言ったことはない。百点満点は取れなくていいから、基本に忠実にやれと言っている。下手が上手ぶってやるのはひどいことだ。むかし三越劇場で『菅原伝授手習鑑』に出たとき、上手くできたと思って意気揚々と楽屋へ帰ったら、楽屋の前に師匠が立っていて、おもいっきりひっぱたかれたことがある。
  • 昔はたくさんの人のところに稽古をつけてもらいに行った。たとえば入院中の弥七さんのところへ押しかけたり。「わし入院してまんねん」と言われたが、拝み倒してなんとか病室で稽古してもらった。はじめは大人しく静かにやっていたが、だんだん盛り上がってきて、看護婦さんが様子を見に来るほどだった。「明日もまた来ます!」と言ったら、弥七さんはまた「わし入院してまんねん」と言った。ほかにもしつこく京都在住の〇〇師匠(聞き取れず)のところへ通って「明日もお願いします!」と言っていたら、「あんた、好きでんな〜」と呆れられた。〇〇さん(聞き取れず)は稽古より稽古のあとの話が長い。昔の名人の話などを聞かせてくれる。それも勉強になった。大夫に稽古をつけてもらうのと、三味線弾きに稽古をつけてもらうのとでは違いがある。若大夫さんの稽古(大夫の稽古)は横綱のぶつかり稽古みたいなもので、ドンと来い!と言ってもらって、クタクタになる。喜左衛門師匠の稽古(三味線弾きにつけてもらう稽古)とは疲れ方が違った。
  • 代役も大切な勉強。若い頃、やったこともない大役が代役で回ってきた。しかも山城掾の直前。みんなに褒められ、千穐楽までつとめた。代役はいろいろやらせてもらって、勉強になった。稽古をしていなくても、普段からいろいろ聞いていたので、つとめられた(すみません、このあたり記憶あいまい)。
  • 弟子に常々言っているのは、「大阪弁を大切にしなさい」ということ。文楽の大夫がなまる(大阪弁でない)のは許せない。日本にはいろいろな言葉があって、標準語(東京弁)は標準語で大切にしなくてはいけないが、浄瑠璃では大阪弁が大事。学校では標準語で勉強を教わるからか、いまの弟子は楽屋でも標準語で話している。どついたろかと思う。大阪弁で話しなさいときつく言っている。大阪出身者以外は言葉自体はちゃんと言えていても、イントネーションのニュアンスがちょっと違ってしまう。むかし、燕三さんがよく「(三味線の)音がなまっとる〜!!💢」と言っていて、当時は何を言っているかわからなかったが、いまならわかる。それは指使いのことだったと思う。
  • 舞台の前に気をつけていること。食べ物は、果物、アルコール、炭酸飲料は摂らない。寝不足もいけない。腰が決まらない。深酒、夜更かしもだめ。自分はお酒がダメなのでいいけど。勘十郎くん(当代)は本当によく飲む。お父さんもそうだった。がばがば飲むので、お父さんみたいになるでと言っている。勘十郎くんは最近、「人形がひとりでに動く」と言っている。(って師匠、その語順で話してしまうと勘十郎さんがアル中の妄想に取り憑かれてるみたいなんでやめたってください!!)
  • 人形も三味線も、目をかけているのが3人くらいいるが、大夫は……。弟子で、最初の面接のとき、「わたし、ゆとり教育なんです」と言ってきた子がいるが、「文楽にゆとりはないで……」と言ってあげた。その子、まだいますけどな。
  • 弟子にはほかの業種の人と付き合いなさいと言っている。いろいろな業種の人(ご贔屓さんを指しているようです)と付き合えるのは技芸員の特権だから。
  • 浄瑠璃は字と字のあいだで語れと言っている。切るのと音を止めるのとは違う。その拍子の取り方(実演)。たとえば「酒屋」でも、半兵衛はぜんそく持ちだが、ぜんそくの咳は難しい(実演)。肺病の咳とは違う(実演)。理解できない弟子には病院行って聞いてこい!と言う。
  • 浄瑠璃は「音(オン)」が大切。浄瑠璃は日常のことばの延長で、むかしは電車のアナウンスにも「音」があった(実演)(筆者注:メリハリや息遣い、伸ばし方、間の取り方のこと?) 。義太夫は三味線の音と音のあいだに声を出し、声がかき消されないようにする。昔、燕三くん(? 当代)を研修で教えているとき、(三味線の音と音のあいだに発声していることをさして)「三味線に合いますねえ」と言ってきた。「あわいでか〜」。でも、音と音をあわせにいってはいけない。
  • 公演で、出来に納得がいってスッキリするのは公演中2、3日くらい。ほとんどの日はもやもやする。舞台稽古初日は緊張する。2、3日目から本調子。NHKの収録だと、「キュー」という合図でやらされるのがいやだった。あれだと間もなにもない。

 

国立劇場での演目

  • (司会者より、国立劇場企画の公演は希少な演目も多いという紹介を受け)『国言詢音頭(くにことばくどきおんど)』が記憶に残っている(文楽劇場/昭和59年9〜10月/公演情報詳細|文化デジタルライブラリー)。人形は玉男くんと簑助くんで、良かった。首を締められるシーンがあって、どううめき声を出そうかなと考え、上を向いて語ることにした。終わったあと簑助くんがやってきて「あんたよう考えはりましたな〜」と言ってくれた。『近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)』(国立劇場小劇場/昭和49年9月/公演情報詳細|文化デジタルライブラリー)。ぬくめし(良いシーン)は良い人へいく。こっちは冷や飯。でも、一生懸命稽古して、結果的には良かった。
  • 近松ものは嫌い。七五調でなく語りにくい。文章が綺麗すぎて山あり谷ありをつけられない。つけると近松のよさが失われる。しかし、イヤなものほど稽古する。やっているうちに、だんだんイヤな気持ちが薄れてくる。結果として、『心中宵庚申』で賞をもらえた。

 

┃ 現在の文楽

  • お客さんにお願いがある。今のお客さんはマナーが良いというか、優しい。むかしは客もきつくて、浄瑠璃にあわせてヤジを飛ばしてきた。「さわりの家も これ限り」という語りに、「さわりの家も<ヤジ:お前もな〜!!>これ限り」とか(すみません、なんの浄瑠璃かわからず、詞章あいまい)。むかしは新聞の批評でもものすごく悪く書かれた。もう、ほんならいっぺん行ってみよか、と逆に思われるくらいに。いま何故当たり障りのない批評しか載らないのか文化欄の記者に聞いたら、たとえ記者がきつく書いても上になおされると言っていた。
  • 先輩方からは、終わりの拍手を聞きわけろと言われていた。その拍手は「ハー、やっと済んだ!」という拍手なのか、「ごくろうさんでしたなー!」という拍手なのか。お客さんを疲れさせてはいけない。
  • 俳優の加藤武さんとよく話をしていた。成瀬巳喜男の『流れる』はみんな芝居をせず芝居をしていた。本当のことを本当にやっては芸ではない。嘘をやるのが芸。今の芝居ではマイクをせず声が後ろまで届く人は少ない。吐く息、吸う息が大切。ただ大声を出せばいいというものではない。まともに大声を出していたのではもたない。

 

┃ 病気と引退

  • 倒れる前日の夜、右肩が上がらないなあと思っていたが、そのまま眠ってしまった。翌朝、洗面所で倒れた。「わし、中風になった」と叫んだ。いまは中風言いまへんな。病院に運ばれて、検査。先生や看護婦さんが「手術はしなくてもいいけど、齢が齢だからどこまで回復するか」と言っているのがすべて聞こえた。
  • リハビリが辛くて、机を叩いて泣いてしまったことがある。そうしたら、主治医の先生に「(もっと症状の重い人もいるのに)感謝のこころが足りない!」と叱られ、頑張ってリハビリをした。病院にはいろいろな人がいた。もっと症状の重い人、若いのになあ……という人。
  • リハビリでは太宰治森鴎外の小説を読んだ。うまく発音できない。ら行がうまく言えない。「コミュニケーション」が言えなくてどうしようと思っていたら、お見舞いに来てくれた劇場の人に浄瑠璃に「コミュニケーション」という言葉は出て来ないから大丈夫ですよ!と励まされた。浄瑠璃の本でリハビリしてもいいかと先生に聞いて、浄瑠璃の本でリハビリしはじめたら、すらすら言えた。
  • みんなに引き止められたが、不本意浄瑠璃ではお客さんに申し訳ないと思い、引退を決めた。文楽協会(?)からも引き止められた(引き止めの条件は絶対言うたらあかんと言われた、そうです)。ところで文楽ちゅうんは退職金がおまへんねん(突然)。辞めてから生活どうしよう?と思って女房に相談したら、なんとかなるから好きなことをやりなはれと言ってもらえた。女房のほうが腹が据わっている。
  • 引退公演は拍手の音がすごくて緊張した。『寿式三番叟』の翁で出たが、拍手がなりやまず、なかなか演奏をはじめられなかった。お客さんの「ごくろうさんでした」という気持ちが伝わってきた。大阪での千穐楽の日、簑助くんが桜丸の人形に花束を持たせて歩いてきたのには本当に驚いた。東京(大阪より後)で花束をもらうことは事前に聞いていたが、大阪は知らなかったので……。簑助くんとはずっと一緒に苦楽を共にしてきたので、泣いて抱き合った。最後の日、国立劇場の警備員さんがプレートを作って見送ってくれて、嬉しかった。

 

┃ 皇居へ行った話

  • 引退後、文化勲章をもらったが、文化勲章には賞金がないから、お祝いの会は自腹。ある賞のパーティーで、一緒に受賞した学者さんたちのスピーチを聞いていたら、みんな賞金は研究費に使うと言っていて、驚いた。学者は本がいっぱいあるいい家に住んでいるとばかり思っていたが、どこもお金が大変なんだなと思った。みんな、妻のおかげで……、と話していた。内助の功というものはあるんだなと思った。
  • 吹上御所へお茶会(?)に呼ばれた。タクシーでは行けないので、ご贔屓さんに車を出してもらった。吹上御所は坂下門からずっと進んだ先の森の中にあって、東京にこんな場所があるのかと思うようなところだった。でも、気軽にご飯食べにこ!とかもできないし、きゅうくつやろなあと思った。やっぱり一般人はいいなと思った。皇居はトイレが広かった。両陛下が、自分の著書を読んでくれていると知り、驚いた。だれが差し入れたのだろう。両陛下とは何度かお会いしたことがあるので、気楽にお話ができた。

 

┃ これから

  • (きょうは12月公演の舞台稽古のため東京へ来たんですよね、という司会者の話を受け)東京のみなさんに久しぶりに会えて嬉しい。また来月も来たい。引退してからこんなに痩せてしまって……(気弱)。みなさん、わしが死んだら新聞に載ると思いまっか?(会場全員首をはげしく横振り、司会者あせりまくり、さっき来月来るって言ったじゃないですかとコメント)またこういう機会があればと思う。今後も、よろしくお願いします。

 

私は舞台を拝見していないので、住大夫さんは資料映像や録音、自伝、あるいは他の技芸員さんからの話でしか存じ上げなかったのだが、ものすごくふんわりとした優しい雰囲気のおじいさまで、驚いた。もっとどきつい感じかと思っていたので……。ときどき(住大夫さんに気を遣って話に割入らない)司会者の方を気遣って、進行大丈夫かとサジェストされていて、本当ちゃんとした方だな〜と思った。客席の雰囲気もとてもよく、ゆったりとお話を聞けた1時間半だった。

技芸員さんて、舞台ではみなさんお澄ましなさっていてお人柄がまったくわからないが、何かの機会でお話されているお姿を拝見すると、外見どおりの方、外見とまったく違う方、いろいろいらっしゃって、面白い。

伝統芸能サロンは平日開催なのが困るのだが、うまいこと脱獄して、時々は参加したいものである。